令和二年 過ぎる秋を京都御苑に観る
京都御苑の紅葉を何にたとえよう?
令和二年は日本の歴史のみならず、世界の歴史にどう書き記されるのだろうか。そんなことを桜の花咲く季節に書いた覚えがある。中国武漢起源の新型コロナウイルスは今でも世界で猛威を振るっている。交通機関の発達による人間の交流が、感染症を瞬く間に世界に広めたといえようか。
いま紅葉の季節が終わろうとしている。今年は遠出を、人込みを避けていた。近場で歩いて行ける範囲で紅葉を、ゆく秋を楽しんだ。まだ「黄昏」を語り合うにはチト早いので、今年の京都御苑の紅葉を発信してみたい。言葉は少なめに。
































❝ 玉敷(たましき)の都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、賤しき、人の住ひは、世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年(こぞ)焼けて、今年造れり。或は大家亡びて、小家となる。住む人もこれに同じ。
所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝(あしたに)死に、夕(ゆうべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。また、知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖(すみか)と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異らず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。
予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそじ)あまりの春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ。❞
※鴨長明『方丈記』より