秋の花 ― 菊と秋薔薇と酒の日々と

菊と露伴

いよいよ菊日和になって来た。あの通りあそこに二畝ばかり作って見たが、向島の時のように丹精しないから、それに夏の間は山の方へ行ってゐて留守にするから、自然疎かにする。疎かにすると、菊の方でも応えてくれない。草木といへども神経もあれば、感応もある。人が心を尽くせば尽しただけの応えをするから妙である。

あの畝の此方の端に植わってゐる一株は名を龍王冠といふのだが、他のものとちがったやつで、ひどく神経っぽい。したがって育てにくい。草木でも高等なものになればなるほど神経が鋭敏であって、培養しにくい。あの菊にしてもこちらの加へる心もちを読むといふやうなところがある。また培養者の技量の程度までも知ってゐるかのやうなところがある。

その技量の程度如何によって花の出来ばえに差等がつく。或る年には全く花を見せないこともあり、また或る年は大へんいぢけた花を見せることもある。あの龍王冠などはもっともよく培養者の心を反映するところがある。
※露伴翁『書斎閑話』より

菊は、白き、好し。黄なる、好し。紅も好し。紫も好し。蜀紅も好し。大なる好
し。 小なる、好し。…人の力は、花大にして、弁の奇、色の妖なりに見(あら)
はれ、 おのづからなる趣は、花のすこやかにして色の純なるに見ゆ。
ありあけの月の下、墨染の夕風吹く頃も、花の白きはわけて潔く趣あり。
※露伴翁『花のいろいろ』より

菊の名花とは

菊の花弁のうちに「はしり」と称する部分がある。日本流の大菊はこのはしりで花の美をそなへて来る。はしりは多く管になってゐて、もっとも外側にあるのだが、力があって外へはしり出してゐるから云うので、たとへば将軍の威を張るごときものである。
そのはしりから少し内側のところに半官の弁がある。本の方が管で末が細い匙のように開いている。はしりを武官とすると、この半官の弁が百官諸司ともいはうか。
今一つ内側に平弁がある。之れを文臣にたとへよう。その中に囲まれて心がある。まさに天子である。
この三種の弁が具足してゐて各そのはたらきを尽くすのが名花である。
※露伴翁『書斎閑話』より

菊を見る楽しさを覚えた日であった。それにしても 菊って色んな種類があるん
ですね。

棘あるをもて薔薇の花を、心に毒ありて貌(かお)美しき女に擬(よそ)へん
は余りに浅はかなるべし。
※露伴翁『花のいろいろ』より

観劇という言葉があることは知っているが、観菊という呼び方はあるのだろう
か。 そのどちらも とうに忘れかけていた。最後の観劇は仲代達矢の“どん底”だ
った。 観菊をした最後の花見は、家族で行った“ひらパー”(ひらかたパーク)だ
った。 子ども相手のショーなどもやっていて、“ショッカー”の本物を見たのもひ
らパー だった。

そんなことはどうでもいいのだけれど、数日前から「巣ごもり」(引きこも
り)の影響なのか、それともお酒の飲みすぎなのだろうか、 胃のあたりが時々
ズキズキと痛むことがある。これはストレスではないのか? などと医者でもな
いのに勝手な自己診断をする。それならストレス解消に、たまには京都植物園に
でも行って、花でも見て来ようと考えた。たしか年寄は無料のはずだったし。

菊花と秋バラは十分に見た。
秋バラの色とかたちに思うところがあった。 さて、この秋薔薇をどのような女
(男でもいいけど)に例えるべきだろうか。