角館武家屋敷を訪ねる(石黒家・青柳家)―おくのほそ道をゆく

秋田新幹線のトラブルで予定していたより一時間半遅れで
角館に到着した。重いリュックは駅のコインローッカーに
預け、サブザック に必要な物だけ移し替えた。この土地も
長年訪ねようとしてかなわずにいた所である。まずは武家
屋敷(群)に向う。

 

正面の建物が角館駅である。


武家屋敷通りへ向って少し歩くと商店街がある。それっぽい
造りの土産物店が並んでいる。


武家屋敷通りの一画にある名物の稲庭うどん店。店の外観も
独特の雪国仕様のようで面白い(食べたいけどお金も時間も
ないのでスルー)。


旧石黒家(分家)。簡素な建物の意匠が素敵だ。
昭和十年の建造という。


赤いポストが風景に妙にハマっている。枝垂れ桜の咲く季節
には、さぞ美しい通りになることだろう。


石黒家の前から通りを南に望む。春の観光シーズンには大変な
人出のようだ。雪の降る季節にも訪れてみたい。


白壁の土蔵(青柳家武器蔵)も独特な外観をしている。屋根を
支える支柱の多さから、豪雪がうかがい知れる。


武家屋敷の門は簡素で、商家のような贅をつくした造りは見ら
れない。伊勢神宮の意匠(精神)に通じるような気がする。

 


石黒家の門構え。庭木の太さ(樹齢100年~300年)が歴史を
物語っている。

石黒家薬医門


石黒家は佐竹北家の用人を勤めた家柄。内部は一般公開され
ている。武家住宅の簡素な造りと精神を学ぶには、生きた教
材ともいえる(今でも住宅として使用されている)。

薬医門には文化六年(1809)4月27日銘の矢板があったと
いうから、二百年以上前の門なのだ。


門をくぐるとこんな感じ。正面の大きな門が表玄関で藩主など
偉い方々が入るところで、家人は右端のこじんまりとした脇玄
関より入ったのだろう。


庭の向うには大通りがある。


母屋は、角館に現存するうち、最古と言われている。

 


主人の間のように思える。


家族が集まる居間として使用されていたのだろうか。鴨居の上にある松飾は
火除けのようだ。人家の密集している角館は火災が多かったという。


石黒家は唯一直系の子孫のご家族が住まわれているので、公開
エリアは半分ほどとか。それでも上級武士の住まいの雰囲気が
感じ取れるのが嬉しい。

常設展示コーナー


こちらの部屋が蔵へ立入ることが出来るコーナー。 石黒家
に代々遺されてきた武具甲冑類・古文書(解体新書関連資料
を含む)・雪国の生活道具などが常設展示されている。


藁で作ってある踏み俵(雪を踏みつけ、道をつける)がなつかしい。
昭和四十年代まで使われていたことを覚えている。


杉田玄白「解体新書」は角館上級武士の家ではよく見られる。
石黒家からは、医師や学者も輩出しているという。


元禄時代ころより俳諧は上級武士の間でも流行していたようだ。
芭蕉が「おくのほそ道」の旅で泊まった家には、意外と上級武
士の家が多い(十日ほど家老格の家に泊り、句会を開いたこと
もある)。
当時、俳諧や和歌に通じていることは身を助けたのである。
芭蕉の俳諧宗匠としての名は、江戸、名古屋、近畿のみならず
陸奥まで知られていたようだし、各地に門人がいた。

見事な造りの土蔵である。武士とはいえ、外部から見えない
ところには贅をつぎ込んでいたのだろうか? おそらくは、
明治以降の建造ではないだろうか。


正玄関脇にある、庭へ立ち入る瀟洒な門。


石黒家の住宅は、嘉永6年(1853年)に現在地に移転したという。


武家屋敷通りは、黒い板塀で囲まれている。次は青柳家に向う。

青柳家薬医門


青柳家薬医門は、藩への功績が認められ特別に許された重厚で
格調高い門という。武家屋敷通りでは一番立派な造りであった。
邸内は一般公開され、見どころは多い。


青柳家母屋は寄棟萱葺き屋根の造りで約二百年前の建築だという。
残念ながら座敷内部には立入ることができなかった。「母屋探訪
ツアー」と称する特別公開(別途500円)では入れるようだ。

見学者が邸内へ入るには脇玄関より入る。現在青柳家はここには
居住していないが、武具、古文書、什器などは展示されている。
建物の管理は「角館歴史村・青柳家」がされているようだ。

通路の明り取り窓。


ここでカメラのトラブル発生。カメラのシャッターが切れない
のだ。調べてみたら、32GBのメモリーが一杯になっていたのだ。
予備のSDカードを探したが無い! サブザックに移し替えるこ
とを忘れていたようだ。なので、上の写真からは iPad で撮影し
ている(とほほ)。

 

大通り側に井戸屋形がある。もし井戸がこれ一つだけでは不便
だったのでは?

寺社の広い境内に迷い込んだかのよう。手水舎まで備えている
ことに驚く。武器蔵を紹介したいが、写真の枚数をこれ以上増
やしたくないのでパス。

邸内の奥まった所には、「茶寮あおやぎ」がある。時間が
許せばここで休憩を取りたいところだが、まだまだ見たい
所があるのでここもスルー。

奥に橋が見えてきた。青柳家の庭は池泉回遊式庭園だという。

橋を渡ると食事のできる「食彩館」、喫茶室「ハイカラ館」、
「武家道具館」、それに各種の体験コーナーや郷土土産コーナ
ーなどがあり、全部見て回るには半日(?)はかかりそうだ。


奥座敷のようだ。正玄関より入った客はこの部屋に通されるのだろう。
フレアーが目立つ(白いスジは雨筋)のは iPad のご愛敬。

佐竹藩は数少ない(七藩?)守護大名として名高い。源氏の流れを
くみ常陸国から移封により羽後にきたようだ。戊辰戦争では、陸奥
では唯一奥羽列藩同盟を離脱し新政府軍側に立った藩でも
ある。
この街でも戦はあったと聞く。

外に出たら雨に濡れた道路がいい感じだった。

写真撮影には四時間ほど費やしただろうか。主な武家屋敷を
くまなく見て歩くと二日間はかかりそうだ。参考までにほか
には岩橋家、松本家、河原田家、小田野家などが無料公開さ
れている。

角館では、昼食抜きで大好きな桜皮細工も見ない、買わない
で武家屋敷通りだけで半日を過ごす。今夜泊まるホテルもま
だ見つからないし、気持ちは焦るばかりである。夏休み期間
に入っているとはいえ、ホテル探しに苦労するとは思いもし
なかった。
とにかく今夜は秋田市で泊り、明日は男鹿半島へ行かなけれ
ばと、気持ちは焦るし、懐具合に頭が痛い。暇はあっても、
さすがに七日目ともなると肝心なものが残り少なくなってき
たのである。

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