盛岡の街にレトロな建物を探索する

盛岡の街を散策する
芭蕉一行は出羽の国へ向ったが、わたしは南部地方へ向って北上する。
いったん芭蕉から離れ、これからしばらくは菅江真澄の辿った道
(一部は芭蕉と重なっている)を歩く。それが長年の望みだったのだ。

菅江真澄は三河の人で、天明の飢饉のころより陸奥、蝦夷の住む北の
国を縦横に歩く(芭蕉に遅れること約百年後)こと四十五年、漂泊の
旅に一生をおくった本草家・歌人・紀行作家なのだ(くわしくは後日)。

ここでは秋田県を巡る旅の中継地である盛岡での散策(五十年振り)
を報告ということで。

開運橋

盛岡駅より東に歩くと北上川に架かる橋。はたして運が開けるだろうか。

北上川


河川敷には遊歩道、土手には花壇が整備されていた。

大通りアーケード街


朝が早いせいか人影もなく、喫茶店すらまだ開いていない。

桜山神社遠望

桜山神社

烏帽子岩


桜山神社本殿横にある巨石。南部盛岡藩の「お守り岩」という。

桜山神社の石鳥居


神社の門前は飲食店街になっている。「昼はラーメン 夜はサカバ」がいいね。
「カスバの女」が自転車でやって来た?


盛岡人のソウルフード「じゃじゃ麺」の人気店のようだ。

亀ヶ池

盛岡城跡公園の一画にある堀、かつての内堀の跡だろうか。

鶴ヶ池

岩手銀行赤レンガ館

設計は辰野金吾・葛西萬司建築事務所。意匠が東京駅と似ているのは、
設計者が同じだから? 明治四十四年(1911)建造。国指定重要文化財。

東北を代表する洋館だという。一般公開している。

赤レンガ館前の角を曲がると…

ござ九・森九商店


一度は訪ねたかった「ござ九・森九商店」。


朝早くから店は開いていたが、店の中を覗いている暇はない。
電車の発車時刻までは二時間なのだ。


釜定工房


南部鉄器の専門店のようだ。残念ながら まだ店は開いていない。

坩堝(るつぼ)


この容器で鉄を溶かした湯を鋳型に流し込む。熱いし、湯が跳ねるのでコワい。
わたしは砂で鋳型を造ることが好きだったのだ。

紺屋町番屋


大正二年(1913)盛岡消防団第五分団番屋として造られた。
よく見られる大正期の木造洋風建築の典型という。望楼の
意匠が懐かしい感じがしていいね!

「青春18きっぷ」 と宿のことなど
まだまだ町家などを見て歩きたいが、もう時間がない。もう少し
東南の方角へ行けば「もりおか町屋物語館」などレトロ感あふれ
る通りがあると言うけれど、そこへは また今度。

秋田新幹線の発車する時刻が迫っているので盛岡駅まで走った。
背中のリュックザックが重たいこと、汗だくになって走る。秋田
新幹線の発車時刻に間に合ったと思ったら、あらら…列車は上野
駅を出た所で「車両事故のため遅れている」だって。結局駅の待
合室で一時間以上待つ羽目になってしまった。

ところで、わたしはどこへ向かおうとしていたのかと言えば、武
家屋敷で有名な角館なのだ。角館に遊ぶことは長年の望みだった
し、菅江真澄はこの地で病没しているからなのだ。秋田藩佐竹義
和公の依頼により、仙北地方の地誌を調べているところであった。

当初、鹿角にある内藤湖南先生の生家を見学する予定だったのだ
が、都合の良い電車がない、ホテルもない(見つからない)ので
諦めたのである。それで今度は「青春18きっぷ」で角館行きを企
てたのだが、普通電車は早朝五時台と午後二時台の二本しかない。
そんな電車で行ったところで、時間を持て余すか、ホテルへ直行
ということになる(新幹線があるからそれを使えということか)。

今回の旅で分かったことがある。地方では 「青春18きっぷ」 は
あまり使い勝ってがよくないということだ。第一普通電車は少し
走ってはすぐ終着駅に到着する。これでは一向に前に進めない。
行き当たりばったりの旅も 、予算に余裕があるのならいいけれど、
手持ちの現金は あと僅かしかないので、そうそう泊まってばかり
も居れないのである。

行き当たりばったりの旅で分かったことは、事前に観光名所めぐ
りの計画を立て、ホテルの予約を入れていないとホテル探しに時
間を取られ、観光どころではないということである(やってみな
ければ分からないものだ)。そしてホテル探しの要領でも分かっ
たことがある(それは次回で)。
※続きます。

    コメントを残す