芭蕉の「おくのほそ道」をゆく - 塩竈神社に文治神灯を観て、義経の悲劇に想いをはせる

陸奥国一宮 塩竈神社に参拝する

塩釜に到着
本塩釜駅に到着したのは午後二時を回っていた。塩釜は雨、まず観光
案内所へ向かい、「二時間ほど時間がある」のでどこを見て回るか助
言を得る。もちろん塩釜神社は外せない。そして前夜にインターネッ
トで予約(予算オーバーだった)していたグランドパレス塩釜へ直行
し荷物を置かせてもらう。

塩釜へ来るまでに「青春18きっぷ」を二回使用した。上野駅から一回
で来ることも可能だったが、白河で一泊したので 二回使用することに
なったのである。
まずは鹽竈街道を西に向って歩き、塩竈神社に参拝するとしよう。

鹽竈街道 (歌碑、モニュメント、要所に風情ある商家が並ぶ塩釜のメインストリート)
道標「壺の碑」に非ず (七曲坂入口・塩竈神社参道)

より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、
道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はれば、時移
り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひな
き千載の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。行脚の
一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」

本塩釜駅から西へ15分余り歩けば、そこはもう塩釜神社表参道である。
鬱蒼とした杉木立が雨に煙り荘厳な雰囲気である。裏参道の方が歩き
やすく、近道ではあるが、あえて表参道を選んだ。

塩釜神社表参道 


杉木立の先端が雨に煙っていた。

陸奥国一宮の扁額  

東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮だが、不思議なことに塩竈神社
の創建年代は明らかではなく、『延喜式』(927)の神名帳にはその
名が載っていないのだとか。

二百余段の石段 を見上げる
石段途中にある灯籠
年月を感じさせる石段
表参道随身門
塩釜神社拝殿

朝、塩竈の明神に詣づ、国守再興せられて、宮柱ふとしく、
彩瑑(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞(きゅ
うじん)に重なり、朝日朱の玉垣をかかやかす。」

朱漆塗銅板葺入母屋造の拝殿。写真手前には文治神灯が見える

「早朝、塩竈神社に参拝する。お社は伊達藩主・独眼竜政宗公が
再建したもので、社殿の宮柱は太く、彩色したタルキはきらびや
かで、 石段は高く連なり、二百余段ある。
朝日が(今日は雨降ってるけど)朱塗りの垣根を輝かしていた。」

現社殿は元禄期のもので元禄8年(1695)から9年の歳月をかけ
宝永元年(1704)竣工とのこと。

※ 塩竈神社は本殿は素木なのに対して拝殿は総漆塗り。拝殿の
朱の色には魔除けの意味があるようだ。
江戸時代、塩竈神社には法連寺という神社を守る寺があり、僧侶
が朱塗りの拝殿で読経を、神職が本殿で祝詞を奏し、僧侶の立入
れる場所と神職の奉仕する場所とを区分するために分けた、とい
われている。

和泉三郎寄進の宝灯

前に古き宝灯あり。鉄の扉の面に“文治三年和泉三郎寄進”とあり。
五百年来の俤、今目の前に浮びて、そぞろに珍し。」

※和泉三郎とは
藤原秀衡の三男忠衡で、灯籠寄進の二年後、一族ことごとく父の遺命に
叛いた兄泰衡の襲撃を受け、義経とともに戦死した。灯籠は今に残る。

太陽と月の意匠に趣きがある
参考・京都大原寂光院(豊臣秀頼寄進の雪見灯籠)
伊達家奉納の灯籠

明日のこともある、そろそろ 社殿参拝を終え裏参道を抜けて
ホテルへ戻るとしよう。

帰り際随身門を望む
特徴のある顔をした狛犬
東神門

門をくぐると左手に絵馬堂と舞殿がある。

裏参道
塩竈神社貴賓館

貴賓館より眺める千賀の浦は美しい眺めなのだが、近代的な建物が
目立つのが惜しい。

裏参道鳥居

裏参道のほうが表参道より古い感じがあり、長い参道は趣がある。

裏参道がつづく
裏参道入口に建つ碑

この辺りに芭蕉一行が泊まった。法連寺(明治四年廃寺)門前の
治兵衛の家はこの辺にあったのだろう。あたりは暗くなってきて
いたが、芭蕉が書いているように「目盲法師の琵琶を鳴らす奥浄
瑠璃を語る」声や入相の鐘の音は聞こえてはこなかったのは残念
である。

琵琶法師は義経の悲劇を語った

竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、
夕月夜幽かに、籬が島もほど近し。蜑(あま)の小舟漕ぎ
連れて、肴分かつ声々に“つなでかなしも”と詠みけん心も
知られて、いとどあはれなり。

その夜、目盲法師の、琵琶を鳴らして、奥浄瑠璃といふも
のを語る。 平家にもあらず、舞ひにもあらず、ひなびたる
調子うち上げて、枕近うかしましけれど、 さすがに辺土の
遺風忘れざるものから、殊勝におぼえらる。」

「平家琵琶でもなし、幸若とも違う。いかにも田舎びた調子を張り
あげて語るのが、枕もとに近くひびき、やかましくはあるけれど、
考えてみればやはり片田舎に残された昔ながらの風儀を忘れずに伝
えているものゆえ、奇特なことよと感ぜずにはおられなかった。」
…評釈・穎原退蔵氏

琵琶法師は源義経の悲劇を語った。

塩竈神社に参拝し、「文治神灯」を見ることが塩竈に立寄った目的
の一つだった。梅雨のさなかでもあり、雨が降っていたので足元は
悪かったが、とてもよい雰囲気の神社だった。
夕方だったので鹽竈神社博物館はすでに閉館していて、拝観できな
かったのが心残り。

東北の人間でも、松島へは寄っても塩竈は通り過ぎてしまう。一度
は立寄って、塩竈神社や一部残っている古い町屋を見ることをお薦
めしたい。

御釜神社

御釜神社

塩釜神社の末社で裏参道を出てすぐの所に鎮座する。
塩釜神社別宮と同じ祭神である塩土老翁神を祀っている。

御釜神社本殿
神釜奉置所

扉の向うには塩釜の名の由来となった四口の神釜が安置されている。
参拝したければ初穂料を納めれば拝観できる。芭蕉翁もここを訪れ
ているので神釜を見ているかもしれない 。

塩焼釜

7月4日から6日に渡り古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事」が行われる。

一森山から望む 千賀の浦(塩釜湾)

写真左端に籬が島があり、その奥には松島湾がある。

『伊勢物語』のモニュメント 。 このような碑が通りにいくつもある

伊勢物語「塩竈に」

物語の内容は、むかし都の鴨川のほとりの六条あたりに、左大臣が
風情のある家に住んでいた。そこで天皇の皇子たちが酒宴をひらき
屋敷のながめのよいことを歌に詠んでいた。そこへ老人がやってき
て詠んだ歌が

 塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣りする舟はここに寄らなむ

塩竈にいつのまに来てしまったのだろうか、朝なぎの海で魚釣りを
する舟はここに寄ってほしい、と詠んだのだった。それは、この老
人が陸奥へ行っていた時に、日本の中で塩竈という所ほど風情のあ
る景色のよい所はなかった、と思っていたからである。老人はこの
左大臣の屋敷(庭)を賞美して、「塩竈にいつのまに来てしまった
のだろう」と詠んだのである。

「都の鴨川のほとりの六条あたり」とは東本願寺渉成園(枳殻邸)
をイメージしてもらうとぴったりくると思うのだが、いかがなもの
であろうか? 渉成園は塩竈の景色をモデルにしたと言う説もある
ようなのだ。

塩竈の商家案内

太田屋

写真は味噌と醤油を製造販売している「太田屋」さんである。
真新しい金文字の看板が屋根に上がっているが、もとは旅籠
で四代目から味噌醤油の醸造をはじめた。創業は弘化2年
(1845)。現在の店  舗は昭和4年に建替えられた。

松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で塩竈から松島へ行く船に
乗った 所は、この店のあたりだったようだ。当時はここまで
海岸線が迫っていて、芭蕉は曾良と二人で船に乗り、松島湾
の遊覧を楽しんだのだろう。

太田屋さんの醸造蔵(棟続きになっている)

醸造蔵(大正14年に建替えたモダン建築)。大震災では、
津波の被害はあったけれど、柱と梁は崩れなかった。

丹六園

塩竈街道を塩竈神社へ向って歩いていると交差点の角に古風な
造りの 商家がある。そこがお茶・茶器販売と銘菓「志ほがま」
(落雁)を販 売している丹六園さんである。

創業は江戸中期享保5年(1720)、当 初は廻船問屋だったとい
う。 塩竈の商家はどの家も瓦葺の屋根が立派である。大棟とい
い、棟降り といいとても重厚な造りで奈良の寺院を彷彿させる。

木造・町屋造の 建物は江戸時代の建物を再利用したものだとい
う。軒下には塩竈の町 屋建築の特徴とされる出桁があるという
が、それには気が付かなかっ た(菓子と格子ばかりに目がいっ
て)。
なぜ廻船問屋から茶や菓子を扱うようになったかと言えば、9代
目の時 に、太平洋戦争で商売が下降気味になりお茶を扱うよう
になったのだ という。塩竈神社の門前町ということもあって、
菓子などに人気があっ たという。うーむ新型コロナ後のことに、
考えがいってしまう。

現在の建物は大正3年(1914)に建てられ、平成5年に塩竈市の
「塩竈文化景観賞」を受賞し、さらには平成26年国の登録有形
文化財に 指定されている。

荻原醸造

味噌・醤油製造販売の荻原醸造さんの店先には大きめの木桶が
鎮座している。すでに醸造樽としての役目は終えたのであろう。
水が漏れなければ雨水を貯めておく木桶として、あるいは防火
水槽として第二の「人生」を、役目を果たすことができる。

荻原醸造さんは創業明治21年、建物自体は江戸後期(安政年間)
の建築で  160年は経っているそうだ。もとは料理屋として使われ
ていたものを初代が購入し たものだという。

塩竈に残る最古級の古民家建築として、平成5年には  「塩竈市文
化景観賞」を受賞している。背景には塩竈神社が鎮座している。
自慢の醤油の味がしみ込んだ「玉こん」が人気。
大震災の時には津波がこの地点まで到達したと木樽の脇に石碑が
建っている。海岸線からこの地点までは600mほどだろうか。

まちかど博物館(旧ゑびや旅館)

塩竈の名の由来になった「御釜神社」の向いにある旧ゑびや旅館。
現在は旅館業をやめて古民家カフェ「はれま」になっている。
しばらくコロナの件もありお休みしていたが、現在は営業を再開
したという。

建物は明治時代のもので、その昔は遊郭だったようだ。塩釜港に
停泊した船乗りたちは、ここで遊び英気を養ったのだろうか。
二階の天井にはそれはそれは優雅な絵が描かれてあるとか。一度
見てみたいものである。
建物の二階と三階は「塩竈まちかど博物館」になっている。 内部
の設えは、貴重な木材を使ったり、古いステンドグラス を窓には
め込んだりしていて不思議な上品さを醸し出してい るようだ
(開館日は土日だけで短時間のよう)。

大震災の時の津波の被害に遭い、取壊す予定のものを市民の寄付で
NPO法人が買い取ったいきさつがある。
明治9年(1876)天皇巡幸の際には、大隈重信ら随行の 方々が宿泊し
たという歴史的にも貴重な建物である。

旅行といえば梅雨時を選ぶのが多いわたしである。
今回はカメラの設定を変更してみた。通常RAWで
撮影することが多いのだが、それをJPEGに変更。
加えて測光方式を中央重点からマルチパターンに
変更してみた。それが裏目に出たのか、全ての写
真が一段階以上露出不足になっていた。
雨の日は路面や屋根の反射の影響を受けるのかも
知れない。

塩竈神社表参道・上より見下ろす

「奥の細道」松島・雄島へ続きます。