松尾芭蕉 十日菊

重陽の節句が待ち遠しい?

毎日暑い日が続く。涼し気に咲く睡蓮の花でさえ、この暑さには
うんざりしていることだろう。そろそろ菊の花の色とりどりの形
と匂いとが恋しくなってくる。

京都の旧家では、重陽の節句の前日(九月八日) に菊の「着せ綿」
という風習が今でもあるようだ。菊は仙境に咲く花で、長寿の花と
されている。
八日の夕刻に菊に綿をかぶせて、翌九日、露に濡れて菊の香りを
含んだその綿で顔拭い、身を撫でて、老いを忘れ齢を延ばすのだ
という。

コロナ感染予防にも効果があると良いのだけれど。


❝九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたう、
おほいたる綿などもいたく濡れ、移しの香ももてはやされて、
つとめてはやみにたれど、なほくもりて、やゝもせば、降り落
ちぬべく見えたるもをかし❞
…枕草子

九月九日は、明方まだ暗いころから、雨が少し降って、菊についた露も
たっぷりとして、菊の着せ綿などもしずくするほど濡れて、花の移り香
もいっそう香り高い。夜来の雨は朝にはやんだけれど、まだ空はどんよ
りくもっていて、ややもするとまた降ってきそうな空だけど、それも風
情があってよい。

十日菊

❝ 蓮池の主翁又菊を愛す。 きのふは龍山の宴を開き、

けふは其の酒の余りを勧めて狂吟の戯れとなす。

猶思ふ、明年誰か健ならん事を。❞


※芭蕉「十日菊」…九月十日、友人の山口素堂亭にて芭蕉、素堂、
 其角らと「残菊の宴」を開く。

❝ 年老いた わたしは秋を悲しみ、

つとめて胸の思いをくつろげようとしているが、

興のわくままに、今日はあなたのもてなしを十二分に受け尽くそうと思う。

髪の毛が薄くなっているのに、

なおも風に帽子を吹き飛ばされることのてれくささよ、

わきの人をわずらわせて、

かぶりもののゆがみを直してもらうことのおかしさよ。

藍水(らんすい)は遠く千々の谷間の水をあつめて流れ落ちて来るし、

玉山(ぎょくざん)はそのふたつの峰を並べて寒々とそびえている。

明年のこの集まりにはたして誰が達者でいるだろうか、

わたしは酒に酔うてまっかな茱藇(しゆゆ・ぐみ)の実を指先につまみながら、

しげしげと視線をくいいらせている。❞

芭蕉の師匠から学ぶ

昨年から、どういうわけか芭蕉の俳諧の領域に足を踏み入れ、
読んだこともない『おくのほそ道』を手にして一人陸奥に分け入った。
もちろん、首からは頭陀袋ならぬカメラをぶら下げての旅である。

そして、関西に戻ってからは、本格的に芭蕉を調べ出した。 まず自宅
にある芭蕉に多少なりとも関係ありそうな本を探し出すことから始めた。

すると出るわ、出るわ、数十冊の本の山が出現した 。芭蕉にも、俳諧にも、
ほとんど興味がなかったのに、である(ほとんどが露伴の著作だった。
露伴は芭蕉の研究者なのだ)。

ただ読んでいなかっただけ…

それらの本を毎日少しづつ読み始めた。
若いころと違って、一冊の本を飽きずに読めるのは30分がいいとこ。
次から次にあっちの本、こっちの本と手を出した。
それをハタで見ていたソウコウの妻(昔は若かった)は、「そんな読み方し
て…」と呆れていた。

で、分かったことがある。芭蕉の俳句と文は、唐の時代の詩人から大きな
影響を受けていた、 ということだった(知らなかったのはワタシ一人かも)。

詩聖(杜甫)だか、詩仙(李白)だか、わたしには名前しか知らない人の詩を、
ほとんど「これってパクリじゃん ?!」(正しくは、影響を受けた)と思った。

「そうなんだ、影響を受けることは悪いことではないんだ」と、頭の片隅に刻ま
れた。

話がそれた。

で、芭蕉が影響を受けたという杜甫や李白のことも学ばなければならない、

という強迫観念に囚われ、またそっちの方にも手を出してしまった(丸善を儲け
させたった!)。

それで今朝、杜甫の漢詩を読んでいたところ、 「九日 藍田の崔氏の荘 」
に添える写真にピンときた、というわけだ。

……前置きが長すぎだわさ、それに重陽の節句にはまだ早い。

九日 藍田の崔氏の荘

老い去(ゆ)きて秋を悲しみ強いて自らを寛(ゆる)うす

興来たりて今日ぞ君の歓びを尽くさん

羞ずらくは短髪を将(もっ)て還(な)お帽を吹かるるを

笑いて旁人を倩(やと)いて為に冠を正さしむ

藍水は遠く千カンより落ち

玉山は高く両峰を並べて寒し

明年 此の会知んね誰か健なる

酔うて茱藇(しゅゆ)を把(と)りて仔細に看る


※黒川洋一氏:現代語訳
※ 九日 藍田の崔氏の荘(きゅうじつ らんでんノさいしノそう )は 杜甫
の作。 旧暦九月九日は重陽の節句のこと。この日には小高い岡に上り酒宴
をひらくのが 当時の習わしのようだ。崔氏は杜甫の年下の友だろうか。