八坂神社 御霊会と池大雅のことなど
静かな祇園祭
祇園祭とは
日本の夏の祭りを代表するものといえば、真っ先に京都の祇園祭
が挙げられます。 ですが今年はいつもの年と様子がちがいます。
山鉾巡行がありません。そもそも すべての山鉾建てがないのです。
原因はアレです、新型コロナウイルス対策なのです。
疫病退散の祈りで始まった祇園祭ですが、皮肉なことに「疫病」
にやられちゃいました。
祇園祭は千年以上の伝統を有す る八坂神社の祭礼です。昔 都に
疫病が流行したとき、都の西にある神泉苑に六十六本の鉾を立て
て祇園の神を迎えて祭り、祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の
除去を祈ったことに由来していると言われています。 祭は、
一ヶ月間にわたり様々な神事、行事があるのです。
八坂神社に詣でる
西楼門を入るとすぐ前に「疫神社」が鎮座しているのですが、
今年は参詣の方々が「ソーシャルデイタンス」を守っていること
が強く印象に残っています。






祇園祭の中心となる神様は、右より「東御座神輿」、「中御座神輿」、
「西御座神輿」。
それぞれの神輿には、クシナダヒメノミコト、スサノオノミコト、
ヤハシラノミコガミが乗られます。
神幸祭
三基の神輿は前祭の山鉾巡行が済んだ17日の夕刻に男衆に担がれ、神社の南楼
門を出発、 氏子が暮らす地域にお出ましになり(四条御旅所)7日間とどまる。
還幸祭
後祭の山鉾巡行が済んだ24日の夕刻、氏子の住む区域を周って神社へ戻る。
普段はおとなしい京都の男衆ですが、この日ばかりは、「三社祭」か? と思
うような 威勢の良い男ぶりを見せます。一見細身の身体に思えますが、右の肩
を触ると力士のように異常とも見える筋肉の盛り上がり方に驚きを隠せません。

境内に店を構える中村楼は13日に「稚児餅」を神社に奉納する。
同日、神社詣でた稚児は中村楼の稚児餅を同店で振舞われる。
ちなみに稚児餅は疫病を除けるという(今宮神社門前のあぶり餅
も同様のものか)。山鉾町で売られる笹で作った粽も同じ。

池大雅のこと
文人画家 池大雅は鳥居を出てすぐ左の所に住んでいたという 。
大雅は祇園下河原で妻の玉瀾と二人で細々と茶店を営んでいたと伝わる。大雅
は絵を書きそれを売っていたので、頼まれれば何にでも書いたそうである。物売
りの掛け行灯の類にも書いたので、 それで京都の行灯には大雅の絵が多かったそ
うだ(本当のこと)。
また祇園の芸子が、たばこ入れや扇面を差し出せばそれにも書いたようだ。
とにかく貴賤分け隔 てなく請われれば何にでも書き、お礼は一件につき百文だっ
たとか(今の価値で安いのか、それとも高いのか?)。
後年、それらの物はさぞ高い値段でその筋の目ざとい方々に取引されたことだ
ろう。
大雅は一流のコピーライターだった?
逸話がある。ある時、薬屋に看板を頼まれて書き、「風邪薬飲みてなおらぬ風の
薬」と書いたそうだ。その意味はそれぞれに考えてもらうことにして、その看板
を見て薬を買う人多く、薬屋は繁盛したと伝わっているそうだ。
池大雅のことを本邦随一の日本画家といった人がいるようなのだ。一度どんな絵
を描いているのか調べてみたいものだ。

楼門を出た神輿は四条大橋に向い、鴨川の水で禊ぎをする。

後方の山の頂(華頂山)には、桓武天皇が京に都を定めることを
決めたという将軍塚がある。

六十六本の鉾を立てるという神泉苑。以前は「都のへそ」と
言われていた覚えがあるが 最近は聞かない。古代、京都は湖
であったというのだが、この場所がその古形を残す所 だとい
うのである。場所は二条城の南で御池通と挟まれている。


早いこと新型コロナウイルスに退散してもらいたいものである。