今宮神社門前町に風情ある町屋を訪ね、そして御霊会に想う

「外出自粛」から解放され気持ちは晴れ晴れ、天気も良くて、
快晴である。デジタルカメラの時代とはいえ、今日のような
明暗差の激しい日はキツイ(その上手ブレ補正の無いカメラ
とレンズで1.5㎏の重さが首に、肩にこたえる)。
20年前のズームレンズをカメラに取付け、試し撮りと気もそ
ぞろに大宮商店街を横切り今宮神社へ足を向ける。

たしかこの辺りにあの家があったはず、と30余年前の記憶をたぐる。
するとあった、あった、以前と同じ顔で出迎えてくれたことに感激
する。
「ちっとも変わらないね、それどころか より綺麗になったね」と30
年前の女友達に会ったように言う。「言いすぎよ!」と言ったかど
うか わからないが、本当に以前より綺麗になっている。

ネガを見直していると、粋な暖簾が掛かっていたことから、
お蕎麦屋さんだろう、と思っていたが普通の家(というより
上等の部類)だった。

写真左の家は、お店でもやっていそうな雰囲気である。

二階の虫籠窓と屋根にある煙り出しがたまりません。
バッタリ床几は大きめで、多人数が夕涼みがてら世間話ができそう。

この家も同じ佇まいで健在でした。リアカーまで同じ場所に立て
かけてあるし! エアコンの室外機だけが増えている。これだか
ら京都人の心は奥深い(?)。

この時代30余年間おんなじ! って、なかなか無いような気がする。
そうは言っても町の中ではバブル期以上の速さで町屋の姿が消え
ていって、ホテルやマンションに代わっている(ゲストハウスな
どまだいい方だけど、今は悲惨な状態)。

今宮神社門前

今宮名物あぶり餅。一和(右)と かざりや(左)さん、一和さん
は何と創業一千年余だという。『枕草子』や『源氏物語』が書か
れていた時代には、すでにお店があったというのだ。清少納言も
あぶり餅を賞味し「あぶり餅ぞ をかし」と言ったかもしれない。

一千年の歴史を侮ってはいけない。京の老舗のコワいところは、
貴方が土産物の品定めをしているように、店の女将は客の
「品定め」をする所にある。もし、お店に入った貴方は、店に
ふさわしい客であるかどうか「値踏み」をされていると思った
ほうがいい(冗談ですよ)。

昔は、それぞれの店の前で おばあさんが客引きをしていた覚えがある。
どちらの店に入ろうか迷ったものだ。
このあたりの景色を見た覚えのある方は、きっと「鬼平」のファン
だったに違いない(エンデングのギターにシビレタわ)。

それにしても みんなマスクしてはるわ

店の前で写真を撮っていたら、わたしの周りが霧に包まれた。
すわっ、物の怪の気配が! とファインダーから目を離すと、
霧ではなくあぶり餅を焼く囲炉裏の灰であった!

すんません、商売の邪魔をして、と退散、退散(ワシは悪霊か!)。

今宮神社東門
東門より一和さんを望む

本来なら17日、祇園祭・前祭(さきまつり)の山鉾巡行が行わ
れていたはずなのだが、新型コロナウイルス感染防止のため中止
となった。
それに代わる行事として山鉾保存会代表者らが、榊を手にし四条
通を東進し、八坂神社御旅所まで徒歩で巡行、その前で八坂神社
に向って遥拝したという。

茅の輪くぐり
今宮神社本殿(写真左が疫社)

今宮神社の起りは八坂神社と同じ?
今宮神社の起源はというと、清少納言が仕えていた中宮定子様の
夫である 一条天皇の御代正歴五年(994)に、都の悪疫退散を祈
り御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが「今宮神社」の起こりだ
という 。これは祇園祭の起源ともいわれる祇園社の御霊会と同じ
ように思える。 元々この地には疫神を祀る社があったようなのだ。

今宮神社楼門 (境内より望む)

清少納言が一条天皇の後宮に仕えた正歴4年頃(993)は、
都で疫病(天然痘)が流行していたという。 疫病とは関係
ないが、清少納言は『枕草子』のなかで、こう言っている。


「神社のなかで印象に残るのは布留の社生田神社、祭礼
の時の御旅所花ふち神社。 杉で知られた三輪の御社は、
杉の目印があるのだろうと興味ひかれる。ことのままの明神
は、人の言う通り、願いを聞き入れて下さるという名前であ
ってたいへん頼み甲斐がある。…余りたくさんの願いを聞き
入れ、無理ではないのかと思いもし、神様に同情してしまう。」


ここに今宮神社の名は出て来ない。何故だ? 
この間、あぶり餅をお代わりまでして 美味しそうに食べていた
ではないか。