津軽-藤枝集落のカッチョと防風林の道
風雪きびしい道
わたしがまだ若かった頃、何を思ったのか陸奥を二年ほど行脚
していた時期がある。北面の武士だった方を気取ったわけでは
ない。文武両道どころか詩の才能は無い、音楽の才能もない、
あるのは初月給で購入した中古の一眼レフだけであった。








そのカメラを袈裟代わりに首にかけ、杖を一脚に換え、どうみても
貧乏ったらしい恰好で茅葺屋根の民家を、道ゆく人々の姿をカメラ
を通して見つめていた。ある時は犬に吠えられて追いかけられ、あ
る時は馬糞を踏んづけ、またある時には牛に睨まれビビったりした
ものである。雪の吹き溜まりに足を踏み入れもがいたこともあった。



雪解けのころ







そんなわたしを可哀そうと思ったのか、屋敷内に招いてくれる
ご婦人がいた。いまと違いシャイなワタシは普段なら断るとこ
ろなのだが、飢えと寒さで心身とも参っていたせいか素直に申
し出に従ったものである。 その家で出された茶菓子が「干し餅」
なのである。囲炉裏端で軽く炙り、ほんのり焼き色のついた長
方形の薄いかたちの餅はチョッピリ甘く、空っぽの胃の腑と渇
いた心を満たし暖めてくれた。
ついつい長居をしてしまい、暗くなるまで(室内の電灯はつい
に点灯しないままであった)お邪魔してしまった。 あちこちで
そのような接待を受け、不思議とお年寄りには可愛がってもら
ったものだ。
早いもので、あれから半世紀が経とうとしている。







