京都北山 花背と芹生の里の秋に徒然草を想う

[神無月のころ]

十月ごろ、来栖野(くるすの)というところを過ぎて、人を尋ねる用があって、ある山里に分け入ったことがある。はるかに続く苔むす細道を踏みわけて行くとだれかがひっそりと住む庵があった。木の葉におおわれた懸樋の雫の音が聞えるばかりで、他にはなに一つ音をたてるものもなかった。閼伽棚(あかだな)に菊や紅葉などの枝がむぞうさに置いてあるのは、やはり住む人があるからなのだろう。
徒然草第十一段…三木紀人訳

よろづのことは、月みるにこそ、慰むものなれ。