松尾芭蕉 「奥の細道」(松島・瑞巌寺)を青春18きっぷでゆく旅

雄島では、梅雨末期特有の蒸し暑さの中、写真撮影に二時間ほど時間を
費やしてしまった。昼食を摂る頃合いなのだが、ここは先を急ぎ瑞巌寺
に詣でよう。

 

総門をくぐると真っすぐな長い参道がある。参道の両脇には杉の並木が
あったとのことだが、大震災の津波により損傷したので若い木に植替え
られている。そのせいか随分と開放感のある参道になっている。

 

 

津波はこの付近まで到達したようだ。

 

 

ようやく中門にたどり着く。その奥には本堂の瓦葺屋根が見える。

 

 

ヒノキの巨木越しに中門を望む。写真右端に国宝の庫裏回廊が見える。

 

 

華奢な杮葺きの中門だが、瓦葺白壁の太鼓塀(中空)と相まって美しい。
奥に見える建物、入母屋造本瓦葺の本堂内には十の部屋がある。

 

中門(重要文化財)

 

 

登竜門

禅宗の庭園では登竜門の名の元になった滝を見かけるが、その名を
冠した玄関を見たのは初めてかもしれない。

 

 

参道わきの苔庭の緑が美しい。

 

庫裏(国宝)

庫裏入口が拝観入口になっている。切妻造本瓦葺、煙り出しは入母屋造
で珍しい構造である。庫裏内の構造は重厚な造りで、柱の太さ、それに
梁の太さに圧倒される。わたしが瑞巌寺の中で一番気に入った建物は庫
裏であった。慶長14年(1609年)頃の建築だそうである。

 

 

庫裏より入り回廊をたどると左手に臥龍梅と中門、それに御成門が見える。

 

臥龍梅(紅梅)

奥(南側)にある臥龍梅(白梅)と対になっている。

 

御成玄関の建物(国宝)

右手に本堂がある。

 

中門

本堂より中門を望む。参道の先には総門があり、そのすぐ東には
松島湾がある。

書院造の本堂内には、室中孔雀の間、仏間、文王の間、上段の間
など十の部屋があり、どの部屋も狩野派や等伯などの絵師により
描かれた金屏風が目にまばゆいばかりである。

 

本堂南側の苔庭。あちらこちらにヤマユリが咲いていた。

 

 

本堂の回廊を巡ると、幾つもの石窟を見ることができる。

 

御成門(重要文化財)

皇族の方々や伊達家の藩主はここから出入りしたのだろう。

 

 

 

観光の話ばかりになってしまった。芭蕉と曾良が瑞巌寺に参拝した話
に戻る。
一日、瑞巌寺に詣づ。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎、出家し
て入唐、帰朝の後開山す。その後に雲居禅士の徳化によりて、七堂甍
改まりて、金壁荘厳光をかかやかし、仏土成就の大伽藍とはなれりけ
る。かの見仏聖の寺はいづくにやと慕はる。」

あの西行が見仏聖を慕い来て、二月もいたという寺はどこであろうか、
と芭蕉は探した。ところが見仏聖は雄島の把不住軒で修行に励んでい
たのである。芭蕉翁は瑞巌寺の一画に寺があると思い込んでいたのだ
ろう。「おくのほそ道」瑞巌寺のところではサラリと流している風に
思える。わたしもそれに倣おう。

 

 

芭蕉翁の風貌
ここで芭蕉翁の風貌について語ってみたい。越後の商人鈴木牧之は、
その著書『北越雪譜』の中で芭蕉翁のかほかたちの一証を得たとい
い、次のように書いている。

「ここに二代目市川団十郎の俳号を…(柏莚という)、この柏莚が
日記のやうに書残したる老の楽といふ随筆あり。 …  “ 我れ幼年の
頃はじめて吉原を見たる時、黒羽二重に三升の紋をつけたるふり袖
を着て、右の手を一蝶にひかれ左を其角にひかれて日本堤を往し事
今に此ふたりは世に名をひゞかせたれど今はなき人なり。……今日
小川破笠老まゐられる。むかしのはなしせられたるなかに、芭蕉翁
はほそおもてうすいもにていろ白く小兵なり。常に茶のつむぎの羽
織をきられ、嵐雪よ、其角が所へいてくるぞよとものしづかにいは
れしとかたられたり ” この文はせをを今目前に見るが如し 」 と。

二代目団十郎、小川破笠老(其角の弟子)、鈴木牧之ともに俳諧に
親しんでいたという。

 

 

左手の道を曲がると洞窟群がある。

 

瑞巌寺洞窟群

凝灰岩層を掘った洞窟は、雄島にも見られたが松島のいたるところに
見られる。瑞巌寺洞窟内には江戸時代以降の供養塔しかない事から江
戸期に掘られた洞窟群と考えられている。洞窟内は塔婆・五輪塔・戒
名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたようだ。このよう
な洞窟はこれから訪ねる立石寺(山寺)にも見られる。

 

 

 

五大堂

 

次の目的地一関へ
さて喧騒の松島を後にして次は一関へ向かうとしよう。一関にはあの
ジャズ喫茶“ベイシー”があるのだ。ジャズ好きの間では、ベイシーは
メッカのような存在。中には「ベイシー詣で」と言う者さえいる。ベ
イシーに立寄ることは、今回の旅の楽しみの一つなのだ。

東北本線松島駅までは、地元の方に尋ねたら「歩いて十五分ほど」で
行けるという。電車の時刻まで四十五分あるし、それならお金も無い
ことだしタクシーに乗る距離ではない、と思ったのが間違いのもと。
駅までは一旦五大堂の前に出て、大通りを左へ回るようにして歩く。
午後二時を過ぎているが、昼食は一関に着いてから食べよう。すでに
体はへとへとで、五大堂へ立寄る気力もない。

気温35度の炎天下のもと、歩いても歩いても東北本線の線路が見えな
い。観光マップを見るとすぐ近くに駅があるように思えるのだが、ニ
十分歩いてもそれらしきモノは見えない。
ようやく東北本線の線路が見え、鉄橋をくぐり抜け左へ曲がる道を進
めば松島駅がある。ところが歩いても歩いても草ぼうぼうの土手ばか
りで駅舎らしき建物はない。電車の時刻まであと十分もないし、心は
焦るばかり。偶然通りかかった地元の方に道を尋ねたら、この線路は
千石線だと。…それではさっき通り過ぎた線路は仙石線だったのか、
と気づき(遅いわ)走って元の道に引き返し急いで松島駅へ。

遅かった…。駅に着いたときには改札口から出てくる人の姿が四つ五
つ…。それからエアコンの無い待合室で、次の電車まで一時間を過ご
す羽目になってしまった。朝から五時間以上写真撮影に没頭し、松島
へ着いてからは水もろくに飲まず、食事も摂っていなかったので軽い
熱中症にかかっていたようだ。とうに仙石線の線路は越えているとば
かり思っていた。朦朧とした頭(目)で見た、あの線路と思っていた
物は一体なんだったのだろうか。
教訓…松島桟橋から東北本線松島駅間はタクシーを利用すべし!

 

※次回は「おくのほそ道」のハイライト、中尊寺金色堂へと続きます。

 

【おくのほそ道参考図書】
・『おくのほそ道』松尾芭蕉著(角川書店編)、角川ソフィア文庫
・『新版おくのほそ道・曾良随行日記付き』潁原退蔵・尾形仂訳注、
角川ソフィア文庫
・『芭蕉俳句集』松尾芭蕉著(岩波書店編)、岩波文庫
・『芭蕉紀行文集』松尾芭蕉著(岩波書店編)、岩波文庫
・『芭蕉入門』井本農一著、講談社学術文庫
・『北越雪譜』鈴木牧之著、(岩波書店編)、岩波文庫
・『われもまたおくのほそ道』森 敦著、講談社学術文庫
・幸田露伴全集(新版、岩波書店)

 

 

 

 

    松尾芭蕉 「奥の細道」(松島・瑞巌寺)を青春18きっぷでゆく旅” に対して 2 件のコメントがあります

    1. koji-kame より:

      単なるそこつものですね!

    2. ken より:

      koji-kameはひょっとして、方向音痴ですか?
      僕は地図を見ていてもよく道に迷います。

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