昭和の記憶 - 茅葺屋根の下で(下時国家)

茅葺屋根の家が消えた!
茅葺屋根の下で産湯を使い育った。その屋根の下で東京オリンピックの年
まで生活していた。家を建て替えるというので、とうとう取壊す日がきた。
中学校から帰ると、すでに茅葺屋根の家は跡形もなく消えていた。
「○○君、家が無くなっちゃったわ…」と、私の姿を見つけて近所のおば
さんは言う。返す言葉が出なかった。妙に切なくて、家の建っていた地面
を見つめ放心状態だった、と当時を思い出す。

新しい家に住める、と家族全員で家のプランを立てた。出来上がった建築
図面を見て、さらに検討に入った。これで快適な生活ができる、とつかの
間の夢を見た。…しかし、なぜか快適であった家での思い出は浮んでこな
い。

 

 

いろり で食べた田楽の味
秋、囲炉裏に薪をくべて暖をとる。熾きが爆ぜ火の粉が飛び、囲炉裏から
出た煙責めに遭い、目からは常に涙が流れる。楽しいことは、囲炉裏端で
豆腐の田楽を焼き、味噌だれを付けた甘い田楽を食べることだった。
しばらく経って、また田楽を作ってと母に頼むと、硬い豆腐が手に入らな
いので作れない、という。僅かな期間で昔から続いていたものが次々に失
われていく。

 

 

 

土間での夜なべ仕事
秋から冬にかけ、居間や土間で夜なべ仕事を家族全員で行う。家畜の飼料
か来年の種まき用か思い出せないが、干し終えたトウモロコシを器具を使
い軸と実に分ける。母は稲わらを砧(きぬた)で打ち、父は縄を結う。そ
して祖母は売り物にならなかった繭で絹糸を紡ぐ(サナギの臭いが想像を
絶する悪臭なのだ)。夜なべ仕事は長い期間あるのだった。

テレビも無い、スマホも無い、ゲーム機も無い、という時代だったから出
来たのか。勉強しろ、勉強しろ、と言われてもそんな環境では出来るわけ
がない(言い訳)。子どもながらに辛い作業であったが、周りの子どもも
似たりよったりの生活環境であった。

 

 

 

母はエラカッタ!
寒い冬の朝、起きてすぐにコタツに入り背を丸くして温まる。母は早くか
ら起きて家族の食事を用意し、練炭を熾してコタツを作ってくれている。
風が強い日には、天井は張っていないので屋根の煙出しからは容赦なく細
かい雪が吹き込んでくる。風趣がある、といって歌を詠む余裕はなく、た
だただ寒さに震えていた。

茅葺屋根の家での、そんな思い出ばかりが次々に浮んでくるのである。
現代では、新しい家といえば、日本全国どこも似たりよったりの家の意匠
である。吹き抜けのある家、空調の効いた快適な家、和室の無い家である。
そんな環境で育った子供たちには、いったいどんな家の思い出が残るので
あろうか。

※写真は能登・下時国家です。

 

 

 

 

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