昭和の記憶 - 天城越え

「私はニ十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、
学生カバンを肩にかけていた。」

 

 

十五歳の年に『伊豆の踊子』を読んでいた私は、川端康成氏が歩いた道を
辿りたいと、修善寺から下田までの道を二日間で歩くことを企てた。Tシ
ャツにジーパン姿、肩にはデニム製のカメラバッグをかけていた。

 

 

 

 

修禅寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その数年前に川端氏は「ノーベル文学賞」を受賞していたのだ。
そのこととは関係はなく、出発の前日(いつものことだが)に
天城越えがひらめいた。たしか進路について悩んでいた時期だ
ったような気がする。

 

 

 

 

 

 

天城越え

 

 

 

 

 

 

 

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、
雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を
追って来た。」

 

 

 

 

 

 

 

天城山隧道(北口)

「ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその
入口で立ちすくんでしまった。余りに期待がみごとに的中したからであ
る。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。…
踊子と真近に向い合ったので、私はあわてて袂から煙草を取りだした。」

 

 

 

 

 

 

 

 

照明の無い隧道をしばらく手探りで歩くと出口の明かりが見えた。

 

 

隧道内部は夏でも冷たい風が通り抜け涼しい。天井から滴り落ちる
雨水が頭に 肩に降りかかる。

 

 

隧道出口を南側から撮影する。

 

 

 

 

 

 

 

 

湯ヶ島温泉

 

 

 

 

 

 

 

 

浄蓮の滝へ

 

 

 

 

 

浄蓮の滝

 

 

 

 

 

 

 

 

ワサビ畑

 

 

 

 

 

 

 

 

湯ヶ野

 

 

 

「仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、
脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱい
に伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。」

 

 

 

寒天橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩くのに疲れ、とうとうバスに乗り下田に向う。

 

 

 

 

 

旅の終着点、下田港が見えたようだ。

 

「乗船場に近づくと、海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に
飛び込んだ。傍に行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げ
た。昨夜のままの化粧が私を一層感情的にした。まなじりの紅が怒
っているかのような顔に幼い凛々しさを与えていた。……

汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、
私は欄干にもたれて沖の大島を一心に眺めていた。踊子に別れたの
は遠い昔であるような気持だった。」

ひとは若いころ、誰しもがこのような経験(感情)を一度や二度も
ったことがあったのではないだろうか。時は「DISCOVER JAPAN」
キャンペーンの真っ最中の頃である。副題は「美しい日本と私」で
あった。

 

 

 

 

 

    昭和の記憶 - 天城越え” に対して 2 件のコメントがあります

    1. koji-kame より:

      『伊豆の踊子』を読んだことが、後々小説好きになったきっかけのような気がします。でも川端作品はそれほど好きではないのです。むしろ近代の西洋文学の方が好きかな?

    2. ken より:

      伊豆の踊子は正直読んだことがありません。
      koji-kameさんは若い頃から行動力があったのですね。

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