雲ノ平は雲上の楽園 !?

竜晶池では思いのほか時間を費やしてしまった。高天原山荘に戻り、
さあ次は水晶池へ行こう、と思っていたところ、今日の高天原のニ
ッコウキスゲは昨日より色艶がいい。ここでもまた三脚を立てカメ
ラをセットして撮影に熱中してしまった。

 

写真奥に見える台地状の山が雲ノ平のようだ。

侮っていた尾根歩き
眠りノ平にあるという「神秘的」と伝わる水晶池に立ち寄る予定だった
のだが、高天原に後ろ髪をひかれ、またまた時間を費やしてしまった。
先を急ぎ、高天原峠から樹林に囲まれた尾根道をひたすら登る。話には
聞いていたが(初めはタカを括っていた)登るに従い、四つん這いにな
り、木の根を掴んでは攀じ登り、急勾配のハシゴを越える。これを二時
間繰り返すのは些か辛いものがある。その上、二キログラムある三脚の
重さが肩にこたえる。雨に降られないだけラッキーと思うしかない。
視界の開けた奥スイス庭園にたどりついた時にはホッとしたものだ。

 

 

 

 

雲ノ平

雲ノ平山荘にかける情熱
溶岩台地の上に、ポツネンと小さな雲ノ平山荘が見える。
この山荘は『黒部の山賊』を著した伊藤正一氏が戦後に建設した山小屋
である。人夫を雇い、麓から木材を背負って雲ノ平まで運び建設したの
であるから、想像以上に大変な労力を費やしたことだろう。それも雲ノ
平を多くの者に知ってもらいたい、足を運んで欲しいという一途な思い
からであったに違いない。新たに登山道まで開削したというのだから、
黒部にかけるその情熱は半端ではない。現在は息子さんが小屋の経営を
引き継いでいる。

 

溶岩台地に咲くチングルマ

 

 

 

奥スイス庭園、奥日本庭園と巡ったが、これといった絵になる池塘は
見当たらず、広がりのある風景は撮影できなかった。せめて遠くの山
がクッキリ見渡せれば撮影意欲も湧くというものだが、山は雲に隠れ
それも適わなかった。梅雨時の山歩きはこんなものと、池塘と山岳を
対比した写真は諦める。

 

 

 

 

 

 

 

 

祖父岳の火砕流が、ここで行き止まったかのような小山である。
そう言えば雲仙普賢岳の大火砕流も、一ヵ月前に起きた一大事件
だった。あの火砕流では四十三名の死者・行方不明者が出ていた
のだ。

 

 

池塘の写真は一枚も撮らずじまいだったが、ゴロゴロとした岩だらけの
景色は沢山撮影していた。
雲ノ平は祖父岳の噴火によって出来た溶岩台地らしく、彼方此方にその
痕跡を見ることが出来る。わたしにとっては、お花畑や池塘よりも溶岩
の形の面白さに目がいった雲ノ平だった。

 

 

雲ノ平山荘の思い出
早々と「庭園」の撮影を切り上げ、雲ノ平山荘に入り疲れた体を休
めた。二階の寝室は思ったより広々としていたが、混雑しているだ
ろうという予想に反し空いてはいたのだが、そこには不思議な光景
が広がっていた。寝室のあちこちに洗面器やバケツが点在していた
のだ。それは屋根から漏れた雨水の受皿なのだった(現在の山荘は
建替えられたものなのでご安心を)。

夕暮れ時になり、夕焼けでも撮影しようとバルコニーへ出る。空は
さほど焼けてはいないけれど、三千メートル級の嶺にかかる雲の形
が面白く、三脚を手に持ち、東へ西へとバルコニーを行ったり来た
り。最後には撮影に熱中するあまり、バルコニーの床を踏み抜いて
しまうほどであった。

 

雲ノ平 雲の競艶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲ノ平山荘の二階バルコニーから見た、北アルプス最深部での
雲の競艶であった。

 

 

こちらは太郎兵衛平での雲の競艶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またまた高天原から望む夕焼け。

 

 

 

黒部源流は山賊の住むところ
雲ノ平を世に紹介した伊藤正一氏は、雲の平のほかに三俣蓮華、
水晶岳と複数の山小屋を造った。お陰で北アルプス最深部まで
人は容易に立入ることが出来るようになった。氏は、それまで
は富裕者層の楽しみであった登山を、一般の勤労者にまで広げ、
登山ブームのきっかけをつくった一人と言っても良いかも知れ
ないのだ。
その伊藤氏の著した『黒部の山賊』を三十余年前に槍沢ロッジ
で読み、いつかは雲ノ平へ、と思い立ったことが今回(と言っ
ても、三十年ほど前のことなのだが)の黒部川源流への山旅に
繋がったのだ。

その源流部には、山賊が集団で住んでいたというのだ(まるで
水滸伝の梁山泊ではないか)。その山賊との「交流」と山で生
き抜くチカラ(技術)、山で経験した奇々怪々な出来事、その
記述がとても面白い。その本は復刊され、今では山の本の中で
ベストセラーになっているようなのだ。再び読んでみようかと
思っている。
続きます…

※撮影年:1991