ぼたん の花咲くころ

ひとは若い頃は、白い花には見向きもしないものであろうか。
少なくても、わたしはそうだった。だが年齢を重ねるとともに、白い花に目が
向くようになってきた。それは花だけに限らない。好きな陶磁器についても言
えることなのだ。
陶磁器は染付に始まり染付に終るという。だが、わたしにとっては染付は中心
軸ではあるが、白磁にも心惹かれるものがある。ひとくちに白磁と言っても色
々ある。志野の白があれば「にごしで」の白もある。萩の白も趣きがあって手
にすると撫でたくなる。何と言ってもとどめは、数寄者垂涎の李朝の白であろ
うか。一度目にした者はその肌色のとりこになり忘れられない。
その先に待受けるものは、苦悩か、快楽か、はたまたローン地獄か。

 

 

 

きのうは朝から用事があり、区役所、病院、郵便局と慌ただしかった。
区役所へ歩いていく途中だった。珍しく歩道の植込みに目が行った。
そこに真っ白い牡丹の花が咲いていたのである。毎年咲いていることは
知っていた。しかし、今年の牡丹の花には心を惹かれるものを感じたの
である。あいにくカメラは持っていなかった。見事なまでの白い牡丹の
花、後ろ髪引かれる思いでその場を去った。

用事を終えたのは昼過ぎになってからだった。
家に帰り、昼食を後回しにし、あの白い牡丹を撮ろうと心が急いだ。カ
メラを引っ張り出し、レンズは四十年前のマクロを選んだ(マクロはこ
れのみ)。この際だし、三脚もベッドの下から探し出した。さて三脚は
どれにしようか。自分の二本の足も満足に操作できないのに、三脚だけ
は大小数脚持っている。
スリックは四キロもあるので、軽い小型のリンホフにしようか。いや、
これは使いにくいのでジッツオの中型にしよう!
そして牡丹の前に立ち三脚をセットしようとしたのだが、三脚の使い方
を大分忘れていた。三脚を使うのは実に二十年振りのことだった。

 

 

たとえば・・・この花を人に例えたなら 一条天皇の后 “中宮定子” 様か

 

 

白い牡丹の花をモノクローム風にして撮影したものである。本来なら
モノクロームフィルムを用いたいところであるが、そんな資金も、気
力も、体力もない。近ごろのカメラは便利な機能があるので、一度使
ってみたかっただけのこと。

わたしは花の写真はめったに撮らない。風景を撮影する合間に気に入っ
た花が目の前にあれば撮るという程度。それも広角レンズで。この花を
撮影したレンズはマクロであるが、三十年間で三度しか使っていない。
一度目は三十年ほど前、ポジフィルムで紅葉を撮影したときのこと。・・・
その解像力に目を疑った。カリカリの仕上がりだったのだ。それ以来長
い眠りにつかせてしまった。

それがである。試しにデジタルカメラに取付けてみると、柔らかい雰囲
気に撮れる。そう思えた。これは使える! そう思うと、カニンガムが
小型カメラで撮影した花の写真 “カール” の記憶が甦った。

 

 

牡丹は人の力の現はるゝ花なり。打捨て置きては、よきものも漸く悲しき

花のさまになり行けど、培ひ養ふこと怠らねば、おのづからなる美しさも

一トしほ増して、おだやかなる日の光の下に、姿ゆたけく咲き出でたる、

憂き世の物としも無くめでたし。ひとへざきなるも好く、八重ざきなるも

好く、やぐらざきなるも好し。此花のすぐれて美しきを見るごとに、人の

力といふものも、さて価低からぬものなるよ、と身にしみてぞ思はるゝ。

・・・露伴『花のいろいろ』

 

 

 

 

    ぼたん の花咲くころ” に対して 2 件のコメントがあります

    1. ken より:

      こんばんは。
      白いボタンの花綺麗ですね。
      僕も若い頃は華やかな色の花が好きでしたが、今一番好きなのは白い百合の花です。
      歳と共に好みも変わるようです。

      1. koji-kame より:

        白百合といえば、鎌倉の山中で見かけたササユリを思い出します。あの花は遠目に見ているのがいいですね。手折って部屋の中に飾る物ではありません! 見た目は可憐なのですが、「個性」が強烈です。そんなひとが居そうな気がしますけど!?

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