花の北山を歩く ー 露伴と花の色いろ

 

北山と幸田露伴と花のいろいろ
幸田露伴(敬称略)の随筆に『花のいろいろ』という文章がある。
含蓄に富んだ花の話がとても面白く、よくもまあこのような文章が
書けるものだと感心を越えて驚くばかりである。その露伴だが、あ
まり知られていないことだが狩野亨吉に乞われて明治四十一年から
一年間だけ京都帝国大学文科大学で講師をしていたことがある。と
ても真面目で几帳面。教授会には一度も欠席したことはなく、あれ
では長くは続くまい、と他の教授陣から見られていたようだ。

その頃に北山に入山しているのではないか、と調べているのだが今
の所そのような文章は見当たらない。きっと山好き、旅好き、歴史
好きの露伴のことだから鞍馬山あたりなら、京都大学から歩いても
知れた距離なので登っているのではないだろうか。
で、どうして露伴を持ちだしたかといえば、拙いわたしの花の説明
よりも露伴の花の話の方が当然ながらずっとずっと面白いし、是非
とも紹介してみたい、紹介したいと思ったからなのである。

 

 

林間に咲くコブシの花

真っ先に春を告げるのはコブシかマンサクか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉蘭花
もくれんは辛夷(こぶし)の類なり。花白きあり紫なるあれど、玉蘭と
いへば白き方をさすなるべし。散りぎははおもしろからねど、今や咲か
んとする時のさまいと心地よく見ゆ。たとへば肥へて丈高き女の、雪と
色白きが如し、眉つき眼つきは好くもあれ悪くもあれ、遠くより見たる
に先づ心ひかる。されど此花の姿の、何となく漢(から)めきたるは、
好かぬ人もあるべし。さる代りには、大寺の庭などに咲きて、其漢めき
たるところあるがために褒めたゝへらるゝこともあるなるべし。
※写真はコブシです。

 

 

 

 

里に近い山の斜面には桜の木が見られる。

 

 

 

ヤマフジ

 

紫 藤
春の花いづれとなく皆開け出(いづ)る色ごとに目おどろかぬは無きを、
心短く打すてゝ散りぬるが恨めしうおぼゆるころほひ、此花の独(ひとり)
たち後れて夏にさきかゝるなん、あやしく心にくゝ、あはれにおぼえ侍る。
と古の人の云ひたる藤の花こそ、花の中にもいと物静かにして而も艶なる
ものなれ。古りたる園の、主変りて顧みられずなり行き、籬は破れ土は瘠
せ、草木も人の手の恵(めぐみ)に遠ざかりたるより色失せ勢萎(な)へ
て見る眼悲しくなりたるが中に、此花の喬(たか)き常盤樹の梢に這ひ上
りて、おのが心のまゝに紫の浪織りかけて静けく咲き出でたるなど、特
(こと)に花の色も身に染(し)みてあはれ深きものにぞ覚ゆる。紫の色
に咲く桐の花、樗の花、いづれか床しき花ならぬは無けれど、此花は花の
姿さへ其色に協ひたりとおぼしく、ひとしほ人の心を動かす。これの秋咲
くものならぬこそ幸なれ。風冷えて鐘の音も清み渡る江村の秋の夕など、
雲漏る薄き日ざしに此花の咲くものならんには、我必ずや其蔭に倒れ伏し
て死(しに)もすべし。虻の声は天地の活気を語り、風の温く軟(やはら
か)きが袂軽き衣を吹き皺めて、人々の魂魄(たましひ)を快き睡りの郷
に誘はんとする時にだも、此花を見れば我が心は天にもつかず地にもつか
ぬ空に漂ひて、物を思ふにも無く思はぬにも無き境に遊ぶなり。

 

 

 

イワウチワ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イワカガミ?

あまり見かけない花、コイワカガミだろうか。

 

 

 

ニリンソウ

 

 

 

 

 

三国峠を降りてくると、足元に見たことのある小さな花の小群落があった。
標準レンズ先端にクローズアップレンズを取付けて撮影したが、ピントが
合ってませんね。

 

 

 

エンレイソウ

早春の山歩きは山野草を見る楽しみでもある。日の光に映える新緑も
美しいが、足元の小さな花にも目を向けてみたい。時間が惜しくて花
にはさほど興味が湧かなかったのだけれど、思いのほか撮影していた。

 

 

 

芽吹きのとき

 

 

 

 

 

この木 何の木?

 

 

 

 

トチノキの新芽だろうか。

 

 

 

光る若葉

この木の名を思い出せない…

 

 

 

新緑の雑木林

若狭と京を結ぶ、昔の鯖街道の跡を歩いてみた…(二次林?)

 

 

 

ブナの原生林

若葉のころである。地蔵峠付近。

 

 

 

ブナの新緑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モミジの若葉

 

 

 

 

ブナの若葉

初夏の風に揺れる透明感のある若葉は、見ていて清々しいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

風にざわめく若葉

 

 

 

 

モミジの若葉

廃村灰野付近。以前は離村した家の庭に植っていたのだろう。

 

 

 

大カツラと寄生する山桜

ご存知、下谷の大カツラ。

 

 

 

カツラの巨木

カツラの葉はハート型をしていて、秋になると綺麗に黄葉する。

 

 

 

 

 

 

 

 

ドウダンツツジ

峰床山に登る途中、俵坂峠の尾根道に群生している。

 

 

 

谷間のツツジ

 

躑躅花
つゝじは品多し。花紅にして単弁(ひとへ)なるもの、珍しからねど
真(まこと)の躑躅花のおもむきありと思はる。取りつくろはぬ矮き
樹の一本(もと)二本庭なる捨石の傍などに咲きたる、或は築山に添
ひて一ト簇(むら)一ト簇なせるが咲きたる、いづれも美し。此花咲
けば此頃よりやがて酒の味(あぢはひ)うまからずなりて、菊の花咲
くまでは自ら酒盃(さかづき)に遠ざかること我が習ひなり。人は如
何にや知らず、我は打対ひて酒飲むべき花とは思はず。

 

 

 

シャクナゲ

鞍馬の里から百井峠を越えるとシャクナゲの群生地がある。

 

 

 

ネムノキ

初夏のころ、川沿いにはネムノキが咲き競う姿を見ることができる。

 

 

 

寄生するラン

 

 

 

 

朝露に濡れる蜘蛛の巣

遡行二日目の朝、川を渡っていると朝露に濡れた蜘蛛の巣が面白かった
ので撮影したが、露がよく見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

トリアシショウマ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初夏に咲く花

 

 

 

 

さくらんぼ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホオの若葉

雨に濡れた風情に趣があった。

 

 

 

トチノキの葉

若葉のころはもっと透明感があるのだが、時期が遅かった。

 

 

 

ホオの花

 

厚 朴
ほゝは、山深きあたりの高き梢に塵寰(ちりのよ)の汚れ知らず顔して、
たゞ青雲(あをぐも)を見て嘯き立てる、気高さ比(たと)へんかた無
し。香は天つ風の烈しく吹くにも圧(お)されず、色は白璧を削りたれ
ばとてかくはあらじと思はるゝまで潔きが中に猶温(あたゝ)かげなる
おもむきさへあり。弁はひとへなれど、おもひきつて大きく咲きたる、
なかなかに八重なる花の大なるより眼ざまし。心(しん)のさまも世の
常有りふれたるものとは異ひて、仙女の冠などにも為さば為すべき花の
おもかげ、かうかうしく貴し。此の花を瓶にせんは、たゞ人の堪ふべき
ところにあらず。まづは漢にて武帝、我邦にて太閤などこそこれを瓶中
のものとなし得べき人なれと思はる。

 

 

 

コアジサイ

日陰の場所で群落をよく見かける。顔を近づけて良くみると綺麗な花だ。

 

 

 

アシウスギの巨木とツツジ

 

「花の北山」と題を付けたのはよいけれど、花の名前も木の名前も
知らなかったことを思い知った。せめて歌のひとつも詠んでみたい
けれど、実はそのような高尚な趣味を持ってはいなかった。文豪の
文章をパチッてばかりで恥かしい。これを契機に花と木の名前を覚
えるとしよう。

最後に、またまた露伴翁の文をパチります(ん? いい加減にせいや!
という声が天から聞えてきたような)。

折々草
「思ひもかけぬ山道に踏迷ひ、行けども行けども森くらく霧たちこめて、
方角を失ひ目当を忘れ、腹さびしく心細く、おぼつかなくもひとり歩む
中、日はつれなくも我を見捨てて天地薄墨色となり杉の葉の風に鳴る気
味悪さ。今は絶体絶命と観念しても勇気少しもなく、懐中水を湛ふるご
とく寒を覚えし時しもあれ、幽(かすか)なる火の光を見つけ、それに
たよりてあばらやを得、やれうれしと思ひながら如何なる人の住ふ事か
と怖ろしく、こわごわ戸をたたきて難渋の仔細語れば、親切なる老婆の
出来りてそれはそれはお困りなるべしと、やさしき言葉かけくれたる悦
ばしさ。」

わたしもこのような経験を二度三度。山歩きは詳しい地図とコンパス、
懐中電灯、それに予備の食料、衣類を忘れずに。何よりも大事なことは、
無謀な計画を立てないことですね。思い込みにも用心が肝心。また写真
撮影に熱中するあまり、崖から転落しそうになったこともある(カメラ
マンには、このような事故が多いのです)ので、前にも後ろにも要注意。

 

 

 

    花の北山を歩く ー 露伴と花の色いろ” に対して 2 件のコメントがあります

    1. ken より:

      僕の父親は山が好きで時々山に出かけていましたが、僕は子供の頃は山より川で遊ぶ方が楽しかったので、誘われても一緒には出かけませんでした。
      そんな父親ももう90歳に近い年齢でもう山には登れませんが、子供の頃に一緒に山に行っていればいろんな事を学べたかもしれないと思うと少し残念な気持ちがあります。
      山にもそろそろ春が来るころでしょうか。

      1. koji-kame より:

        近ごろは山歩きをすることも無くなりました。
        年とともに気力体力が少しづつ失われていくのでしょうか。
        三浦雄一郎さんを見習わないといけませんね。彼の真似を
        して足に重りを付けて散歩するのが関の山、写真も「お散
        歩写真」ばかりです。
         kame

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