津軽の おが(母)

 

津軽地方の乗換駅(奥羽本線川部駅)ホームでの朝の光景である。
寒さにも負けず、朝早くから、家族のために家で取れた野菜や鶏
卵、餅などを弘前や青森市内へ行き売り歩くのであろう。体より
も大きな荷物を背負い汽車に乗る光景をよく見かけたものである。

 

 

 

棟方志功の母・津軽のおが
青森出身の版画家に棟方志功がいる。彼は子どもの頃、朝暗いうち
から夜遅くまで働きづくめの母を見て育った。母はいつ寝ているの
だろう、と思っていたのではあるまいか。志功が書いた母の死を伝
える「悲母記」という文章がある。その最後に「父の打擲に堪えて、
放題をゆるした母の臨終に、父も泣いた。わたし達が想うているよ
りも、もっと切なく喚き、哭いたのは父だった様でした。出棺の時、
『さだ! ガバ、ヘンヵすのも、コイで最後だ。ウット泣げ、泣げ』
父はそう言って母の棺の蓋の釘を矢鱈に打ちつづけていました。」
妻を打擲するのも、これが最後だと、父は泣きながら釘を打ちつづ
けたという。

 

 

 

 

 

望む母の姿
棟方の版画(板画)の底に流れているものを、彼が生まれ育った環
境、自然、風土というものから考えてみる。そしてまた、棟方の版
画に描かれた弁財天、観世音菩薩などの作品のなかに登場する、は
ちきれんばかりの乳房と豊満な肉体を持った女人、ふっくらとした
紅色の頬に、理想化された母親の姿を見るのは私ひとりだけだろう
か。理想化された母親の姿は、現実の母親の裏返しの姿ともとれる。
棟方と同じく独創的な芸術家に魯山人(篆刻家・書家・陶芸家)が
いる。棟方は魯山人同様、母の愛を享受することが薄かったように
思う。そのことが創作のバネとなったのではないだろうか。

 

 

 

 

ここに写っている子どもたちは、すでに孫のいる年になっているはず。
撮影場所は金木町近辺の嘉瀬の里山と記憶している。

 

 

 

嘉瀬の里山から日本海方面を望む。