奈良市写真美術館で上田義彦写真展を見る

奈良市写真美術館へ
昨日のことだ、久しぶりに京都北山の花脊を歩いてみようか、と計画
していたのだが、朝起きて空模様を見ていたところ、今にも雨が降り
出しそうな雲の動き。その上五月にしてはとても寒いのだ。急遽予定
を変更して、奈良町、高畑あたりを散歩してみようか、といつものご
とく急展開の思いつき。
奈良へは電車一本で行ける気軽さ、昼食は三条通りのあすこの喫茶店
でフルーツサンドを食べてから写真美術館へ行こう、と普段の行動か
らは想像が付かない素早さで日程が組まれる。

 

鷺池浮御堂

高畑への道
軽く昼食を摂ってから、いつもの高畑に向う道(三条通)をのんびり
と歩く。この道は新薬師寺や写真美術館へ行くときには必ずといって
よいほど通る道である。二月堂裏参道とともに大好きな道である。

 

 

 

 

 

春日大社参道沿いには、料理旅館の離れが点在している。

 

 

飛火野

 

高畑の道

写真左手に志賀直哉旧居がある。

 

 

新薬師寺

写真左手に奈良市写真美術館がある。

 

奈良市写真美術館

入江泰吉記念館
奈良市写真美術館を訪れるのは数年振りか。ここは入江泰吉氏の
作品が収められているところ。年のせいか、美術館に着いたころ
には疲れが出てきたので、しばらく休んでから上田義彦氏の展示
コーナーに入る。

 

上田義彦 Forest 印象と記憶 1989-2017

上田氏のことだから、所謂綺麗な写真は無いだろう、と予想はして
いた。予想に違わずと言うか、期待を裏切っていなかったと言うべ
きか、冒頭から哲学的な写真にカウンターパンチを浴びせられた。
神聖? 神秘? 厳粛? 暗闇の中の一筋の光明? 言葉では表現できな
い森の写真? いや森に非ず。そこには執拗なまでに “一本の木” が
描かれていたのである。
千三百年前にタイムスリップし、異教徒と出会った明日香人なら、
私と同様の感想を持ったのかも知れない。それは、期待と戸惑いと
いう感じである。氏は多くの木を撮っていた、見ていたに違いない。
けれども、私にはそのどれもが同じ一本の木に見えたのである。
歩を進めれば、薄暗い森の中から一転、これはアマチュアの撮った
写真か、と思われる写真が展示されていた。(その実、撮れそうで
撮れないだろうけど)。これは一度見ただけではやすやすと感想は述べられない。この写真
を部屋に飾り、数カ月経った頃に何かが見えてくるのだろう。そん
な気がした。広告写真とは違う、一風変った写真展という印象だっ
た。

・・・
あくる日、夜が白々と明けるころ、近くの寺の鐘が鳴り響いた。布団
の中でぬくぬくとしていた私は、ふと悟ったのである。
上田義彦氏は森の中に思索する哲人を見たのである。一本の木は羅漢
であった、いや大日如来といってもよい。森は曼荼羅であったのだと。
氏は、いよいよ悟られたのだ。

・・・

そんな夢を見ていたら・・・寺の鐘の音に起こされた。おかしな夢を
見たものである。