京都御苑 閑院宮邸跡 Site of Kanin-no-miya Residence

 

閑院宮邸跡は京都御苑の南西に位置し、地下鉄丸太町駅のほど近くにある。
間ノ町口より御苑内に入ると、すぐ左手に大きな四脚門があるのですぐに
分る。現在、公家町であったこの地域で唯一御苑に残されている閑院宮邸
跡のこちらの建物は、創建以来の場所にあり、歴史的背景を知る上で貴重
な遺構であるという。
京都御所を見学したあとに、時間に余裕があるのなら、一度は立寄ってみ
ることをおすすめしたい。

 

閑院宮邸東門

東門を京都御苑より撮影する。

 

 

 

東門

寺院風の立派な四脚門である。訪れた日は木の葉が北風に舞っていた。
邸内より撮影。

 

 

 

東門

 

 

 

 

玄関

東門を入ると、正面に千鳥破風をを構えた車寄せ、その左右には書院造りの
建物が続いている。「閑院宮邸跡保存活用工事」により平成18年に竣工した。
入場料は無料である。

 

 

 

玄関を入ると正面に芝生の中庭がある。まず廊下を通って展示室に向かう。
写真は展示室入口より撮影。

 

 

 

展示室(南棟)

 

 

 

 

発掘品

公家屋敷跡から発掘されたもの。わたしの大好きな”志野”があった。

 

 

 

 

南棟縁側より庭園を眺める。

 

 

 

南棟

建物は書院造りに見られる雁行型になっているのが分る。写真右端には
園池が見える。

 

 

 

 

南棟収納展示室より庭園を望む。ケヤキの板敷が見事である。
この部屋は、京都御所の春興殿の一部を移築したものとか?

 

 

 

 

上の写真と同じ部屋に大きな蟇股(欅?)が見える。こんなに立派な蟇股は、
そうはないのでは。

 

 

 

南棟西北側の縁

 

 

 

 

北棟

事務所として使われているが、この建物も閑院宮邸の遺構のようだ。

 

 

 

西棟

レクチャーホールとして使われている。この建物だけが新しく、広縁が
設けられている。

 

 

 

西棟

虹梁の上に板蟇股があることから、西棟は大正から昭和初年の建物と考え
られている。

 

 

 

南棟(入母屋・書院造り)

 

 

 

 

南棟

閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、1710年
に東山天皇皇子直仁親王を始祖として創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷
を構えた。創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、その後再建さ
れているが、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていないという。

 

 

 

 

明治2年の東京遷都に伴い、閑院宮が東京に移られてからは、華族会館や裁判所
として一時使用され、御苑の整備が一段落した明治16年、宮内省京都支庁が設
置されている。

 

 

 

南棟

この建物は、今から120年余り前(明治16年)に旧宮内省京都支庁として
設置されている。当時新築されたというが、三ヵ月足らずで竣工したため
閑院宮邸の建物や材料を再利用したのではないかと推測されている。

 

 

 

南棟

南棟は京都御苑の資料や収蔵品(陶磁器などの発掘品)の展示室として
公家屋敷の雰囲気を損なうことなく活用されている。ちなみに南側の屋
根は寄棟になっている。

 

 

 

南棟

 

 

 

 

南棟

写真右奥に東門が見える。

 

 

 

南棟

書院造りの建物内も良いが、建物南側にある庭園からの書院造りの眺め
もまた趣がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭園

しばしの散歩で気分転換。

 

 

 

 

 

 

 

 

土蔵

右側の建物は西棟(レクチャーホール)。

 

 

 

 

土蔵内は一般公開されていない。

 

 

 

庭園

池の北側(左側)に宮内省所長官舎があった。

 

 

 

南棟

園路より撮影する。

 

 

 

 

園池(敷地南)

試掘調査で新旧の池底や州浜状の石敷きが確認され、18世紀中頃に作庭
されたことが分ったという。作庭当時の意匠を復元した。

 

 

 

東門

帰り際にもう一度眺める。

 

 

 

長屋門

敷地北側に長屋門がある。

 

 

 

長屋門(北西側)

閑院宮邸北側の御苑より撮影する。

 

 

 

長屋門(北東側)

 

 

 

 

積雪の長屋門

 

“過ぎにしかた恋しきもの

枯れたる葵 雛遊びの調度

二藍・葡萄染(ふたあい・えびぞめ)などのさいでの

おしへされて草子の中などにありける みつけたる

また をりからあはれなりし人の文 雨など降り

つれづれなる日 探し出でたる 去年(こぞ)のかはほり”

 

※閑院宮家は実子がなく断絶