秋の一日 永源寺と百済寺を訪ねて

 

湖東遍歴三日目の旅の幕あけは、永源寺から始まった。
永源寺は愛知川の上流域にあり、広大な鈴鹿山脈の山懐にいだかれた禅宗の
本山である。古くから紅葉の名所として名を馳せているので、相当の人出を
予想し混雑を覚悟していた。紅葉の盛りは過ぎてはいたが、かえって物見遊
山の人も少なく境内をのんびりと散策することができた。

 

 

法堂

境内の奥まった位置に法堂がある。

 

 

 

総門

 

永源寺境内に入って最初にくぐる門。康安元年 (1361) 佐々木氏頼によって
創建されたが、明徳元年 (1390) 兵火より焼失。後の寛正5年 (1464) に再
建された。寺内の建造物では最も古いという。四脚門の形式で、門の両側に
土塀をつけた風格のある総門である。

 

 

 

山門

 

総門を過ぎ石畳の参道を歩く。次に見える大きな二層の門が山門である。
寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年
(1802年)完工した。楼上に釈迦牟尼佛・文殊菩薩・普賢菩薩並びに十
六羅漢を奉安している。

 

 

 

境内の紅葉

紅葉の盛りは過ぎたといえ、まだまだ楽しめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

専門道場

 

永源寺は禅宗の寺院である。修行僧が一列に並んで境内を行き来する姿を見ること
が出来る。その後ろ姿をレンズシャッターの写真機で撮影したところ、修行僧が後
ろを振り返った。シャッター音に気づいた修行僧に、私の方こそ驚いた。小さな物
音によく気づいたものだ、と。きっと山での修行により神経が研ぎ澄まされている
のだろう。街に住む者には気づくはずもない小さな音である。

 

 

 

法堂

 

大雄宝殿と称し佐々木氏頼により創建される。
過去三度の兵火や火災により失われたが享保十三年(1728年)再建された。
釈迦牟尼佛・迦葉尊者・阿難尊者が奉安されており、この三尊は後水尾天皇
より寄進されたものであるという。

 

方丈(本堂)
現在の建物は明和二年(1765年)、井伊家の援助により建立されたもので、
屋根は国内屈指の葦葺きである。正面には本尊、世継(よつぎ)観世音菩薩
が奉安されている。
※方丈には二度相対したのだが、撮影することはできなかった。おそらくは
信心が足りなかったに違いない。

 

 

百済寺
永源寺の拝観を終え、愛知川に沿って次に向かったところは近江随一の古刹
百済寺である。釈迦山百済寺は、飛鳥時代、推古14年(606)に聖徳太子の
勅願によって開かれた。創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的
な文化、技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達したというが、いまでは
見る影もない。壮大な表参道の苔むした石垣と石畳から往時を偲ぶほかない。

 

 

赤門

 

百済寺の山門。朱塗りのために通称「赤門」と呼ばれ、この門も本堂と同じ
慶安3年(1650)に建立された。小さいながらも歴史を感じさせる門である。

 

 

 

極楽橋

 

赤門を過ぎ、ほどなく歩くと五の谷川に朱色の「極楽橋」が架かっている。
橋の手前が「此岸」、渡り終えると「彼岸」となるという。
この橋から本堂まで参道の両側には延々と石垣の参道が続き、僧坊の遺構
が左右に展開して、まるで城塞のようである。

 

 

 

参道

 

湖東三山の中で百済寺の参道は、入口にあたる山門(赤門)から本堂までの
長さが最も長い。その参道の両側には老杉が林立し、支院跡の名残を残す苔
むした石垣が続き、歴史の深さを感じさせられる。山門(赤門)から入山す
る者は少ないが、時間と体力に余裕があるなら、こちらから入ることをおす
すめしたい。表門までの間、数人の拝観者としか出会わなかった。とても味
わい深い、歴史を感じさせる参道である。

 

 

 

表門

バスやマイカーを降り、駐車場側から入山するにはこの門になる。

 

 

 

仁王門

 

 

 

 

仁王門大草履

 

長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立された。
三間二間で一対の金剛力士像が向きあっており、仁王はお寺を守る守護神で、
金剛は阿形、力士は吽形で勇猛、剛健、とくに健脚の両足に草鞋を履く印度
発祥の東洋的な神様であるという。
仁王は日中に仕事を終え、夜間は草鞋を仁王門脇に脱いで立ちながら休むの
だという。

正面につり下げられた一対の大草鞋は、昔は仁王像の大きさに応じて50セン
チほどっだたのが、江戸時代中頃から仁王門を通過する参拝客が健脚・長寿
の願を掛けるようになり、触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると
言い伝えられ、草鞋が大きいほどにご利益も大きいと、どんどん大型になっ
ていき、今では3メートルほどの大きさになったという。10年毎に新調する
のだとか。

 

 

本堂直下の表参道

振返り仁王門を望む。清浄な石畳に清々しさを覚える。

 

 

 

千年菩提樹

 

本堂の傍らにある菩提樹。天正元年に信長の軍勢にこの木も焼かれたが、
根が残っていたため息を吹き返した。真ん中の穴がその時の幹の大きさ
(直径80センチ)と伝わる。

比叡山同様に湖東三山も信長の軍勢の焼き討ちにあった。中でも百済寺
の被害は甚大で全山灰燼に帰した。山には三百の僧坊が建ち並んでいた
が、伽藍とともに焼失したという。
その信長も明智光秀の謀反に遭い、命を失った。

 

人間五十年

下天のうちをくらべれば

夢幻のごとくなり

一度生を享け

滅せぬもののあるべきか

 

信長は『敦盛』の舞を好んだと伝わる。

 

※本堂の写真撮影を試みたのであるが、拝観者の多さに加え、拙い技量では
撮影は適わなかった。
撮影年:1980年代