津軽は北のまほろば

 

大和は国のまほろば

たたなづく青がき

山ごもれる大和しうるわし

 

大和朝廷の権力に服さない北の地に住む蝦夷。都の人々から見れば野蛮人の住む地
として認識されていたのではないだろうか。
その北方の地、津軽には“縄文時代“の亀ヶ岡遺跡と三内丸山遺跡がつとに有名であ
る。“縄文時代”は一万年続いたとも言われ、狩猟、漁労、採集などによって生活し
ていた。必要な分だけ採り、共同体の長はいても階級は存在していなかったのでは
ないだろうか。
亀ヶ岡遺跡からは漆を塗った器物が出土していたというし、私の好きな遮光器土偶
も出ている。津軽は縄文時代の一大中心地だった。そして意外に進んだ文化を持っ
ていたのではないか。何と世界最古級の土器(微隆起線文土器)は、約一万年前に
青森にあったのだ。いまや“縄文”といい、“土偶”といい、世界共通語なのだ!

 

茅葺屋根の農家

田のあぜ道には稲が干されている。彼方には日本海がある。

 

 

大平原の小さな家

 

 

 

 

稲を干す

稲を自然乾燥させるには、通常 鉄棒のように数段の横木をかけ、そこに稲を掛け
て乾燥させるのだが、津軽では田んぼの中に稲を逆さまにし乾燥させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲の脱穀

乾燥が適度に進むと脱穀する。現代では機械による乾燥が主流である。

※撮影年:1970年代(五所川原市北部)。続きます……