仏ヶ浦

 

仏ヶ浦へ行くには脇野沢の港から小型の遊覧船に乗り平舘海峡を北上する。
沖合には、今は無い青函連絡船が大きな船体を津軽の山々を背にし航行して
いる姿を見ることが出来た。
東側の下北半島を眺めると、急峻な山を後ろにひかえ、所々に小さな漁村が、
家々がへばりつくように立並んでいた。このような所に人が住んでいるのだ
ろうか、と思うような場所である。道路などあるようには見えず、海路だけ
が交通手段のように見えたものだ。

 

仏ヶ浦

遠くに見える山々は、おそらくは八甲田山ではないだろうか。

 

 

 

仏ヶ浦は南北約2㎞にわたり奇岩が立並んでおり、その異様な姿から
極楽とも地獄とも言い表すことが出来る。
仏ヶ浦一帯は海底火山の活動によって形作られ、長い時間風雨や波に
よって浸食されこの様な形になったのだろう。いずれ“ぶらタモリ”に
よって放映、かつ解明されることを期待しよう。

 

 

天龍岩

 

 

 

蓬莱山

風雨により浸食された岩肌は “針の山“ のようだ。

 

 

 

 

江戸時代の“旅行作家”菅江真澄は、寛政四年(1792)から翌五年にかけ都合
三度か四度仏ヶ浦を訪れている。磯伝いに徒歩で、またある時は小舟に乗り、
この場所を観察し歌も詠んでいる。「仏ヶ浦という磯部の石群は、竹の子が
ならび生えたようなさまで、あたかも大工がけずり出したかのように、これ
らの岩が仏に似ていた。」と『菅江真澄遊覧記』に書いている。よほど仏ヶ
浦を気に入ったと見える。
菅江真澄はこの地に二年以上滞在し、その間田名部や佐井村、脇野沢の家々
に世話になっている。友人知人のつてを頼ったり、時には見ず知らずの家に
一晩の宿を乞い泊まっている。意外にも、当時は困っている旅人がいると泊
めていたようだ。

 

双鶏門付近

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔はこの仏ヶ浦で行者が修行したようである。遠く恐山から山を越え
ここまで歩いてきたようだ。その道もとうに消えていることだろう。

 

 

 

 

 

 

如来の首

岩の一つひとつには呼び名がある。

 

 

如来の首から蓬莱山を望む

 

 

 

 

映画やテレビドラマのロケ地にも使われる仏ヶ浦である。
夜間、ライトアップなどすれば面白いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極楽浜付近

仏ヶ浦には冥界へ通じる道があるというのだが、短い滞在時間では発見
ならず!

 

 

 

 

 

 

 

 

仏ヶ浦のある西海岸は平舘海峡に面しているので、冬季は西風が強く吹き、
海は荒れて北前船などが難破しては人が流されて来たという。まだ息のある
人がいても狼が来ては人を襲い、海岸には体を引きずった赤い痕跡が残って
いたというから、海路は恐ろしい。

 

 

海岸線は波に浸食されている。右端に見える先端が尖った岩は一ツ仏。
古くは佐井村から山を越え、そして海岸線を歩いて仏ヶ浦に参ったと
いう信仰の地でもある。

 

 

 

 

 

 

 

海底火山の活動により隆起したのだろうか。生々しい火山活動の痕跡か、
それとも噴出した溶岩だろうか。

 

 

焼山?

仏ヶ浦の南には、褐色の山肌が露出している所がある。

 

 

西海岸の集落

ここは大きな方の集落である。遠目には舟屋か人の住む家か判別できない
小さな集落を幾つも見かけた。夏場だけの作業小屋もあるのかもしれない。

 

 

平舘海峡

二隻の青函連絡船が行きかう、今では見ることが出来ない光景である。
遠くに見える山並みは津軽半島の山々。

 

私が仏ヶ浦を訪ねたのは五十年近く前のことである。中学生の頃、社会科
の先生から下北半島には“恐山”や“仏ヶ浦”という場所がある、と聞いた。
その異様な名に惹かれ訪れたのかもしれない。
今では周遊道路が開通し、当時とは格段に利便が良くなっているようだ。
その反面、失ったものも多いはず。十代の頃に撮影したこの写真が何かの
参考になるなら嬉しい。

 

※撮影年:1971年

 

 

 

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