津軽・川倉地蔵尊例大祭(中編)

 

 

地蔵尊堂内

ご本尊の前には夥しい数の供物、堂内のいたる所には生前に亡き人が
使用したであろう衣類や玩具、そして肖像などが飾られている。

 

地蔵尊

 

 

献 花

 

 

 

堂内は近隣から集まった多くの善男善女で身動きがとれないほどである。

 

 

 

 

 

お婆さんの顔の皺に、農民の労苦が刻まれていると思うのは考えすぎか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても山のように盛り上がった供物の多さには驚くほかはない。
二人は容貌が似ているので姉妹だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉がありません・・・

 

 

 

 

 

堂内の側面の壁には、夥しい数の地蔵が祀られている。

 

 

久しぶりに知人と顔を合わせ、旧交を温めているのだろうか。

 

 

地蔵にお供え物を。

 

 

賽の河原に向かうお婆さん。風体から ただならぬ気配を感じた。

 

 

賽の河原で。

 

 

賽の河原

参詣者からお布施をいただく僧侶(?)もいる。
この近くに、行き倒れになった者を葬る「イゴク穴」と呼ぶ穴があった
そうな。

 

 

地蔵尊堂の外には卒塔婆や後生車が立っている。

 

 

お地蔵さん

地蔵尊堂の外にも多くの地蔵が祀られている。小さな祠に書かれた名前
は何を意味しているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賽の河原からの帰り。向うの建物は地蔵尊堂。

 

 

 

夜のとばりが降りてからも参詣者は途切れない。

 

 

 

 

 

暑い日中を避けてか、あるいは農作業を終えてからお参りに来るのだろうか。

 

 

卒塔婆や後生車の周りにも山のような供物が。

 

 

ストロボ無しで撮影するとこんな感じ。

 

 

ちょっと薄気味悪いかな? 明るい方向には大きな溜池がある。

 

 

お地蔵さんを拝むお婆さん。隣にいるのはお孫さんだろうか。
写真を撮らせてとお願いしたら、顔を覆っていた手ぬぐいを
頭の上に上げ、顔を見えるようにしてくれた。

 

 

賽の河原へ

 

 

 

賽の河原へ向かう三人のお婆さん。後ろ姿が印象的だった。背負った
荷物は沢山の供物なのだろうか。遠方から来る参詣者のために宿泊で
きるテントもあるので、二三日分の食料と着替えかもしれない(私も
二晩泊りました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も更けて

さすがに深夜になると訪れる人もいない。

 

 

 

地蔵尊堂内のお地蔵さん

 

 

 

 

 

 

現在のお堂は、平成に入ってから建替えられているのでこのような雑然
とした雰囲気はないようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡き子が使用したであろう、人形や衣類などが所狭しと飾られている。
しつこいようだが、現在では飾られてはいないようなので記録として
展示する。薄気味の悪い写真もあるので心臓の悪い方は見ないこと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津軽地方では、子どもが亡くなると地蔵を集落や村にある「賽の河原」
やお堂に祀る風習があるという。集落の外れには、必ずといってよいほ
ど小さな祠があり、お地蔵さんが祀られている。京都にも町内のいたる
所に地蔵は祀られているが、川倉ほど一カ所にまとまって祀られている
場所を知らない。化野念仏寺にも石仏は多く祀られてはいるが、あれは
後の時代に一カ所に集められたもの。

川倉地蔵尊堂内の地蔵を調査した記録がある。それによると一番古いも
のでも明治後期の作だという。そんなに古い時代の地蔵は無かったよう
なのである。とすれば明治期に入ってからの死者を祀っていることにな
る。ひょっとして日清戦争・日露戦争、「太平洋戦争」で無くなった方
々を祀っているということなのだろうか。
戊辰戦争で亡くなった方々を祀ったのが靖国神社とするなら、こちらは
近代の戦、あるいは病で亡くなった家族を祀るところなのかもしれない。

 

※後編に続く。後編はイタコの “口寄せ” を投稿します。