源氏物語ゆかりの寺 石山寺を訪ねて

 

石山寺東大門(重文)

瀬田川沿いに東面している。鎌倉時代の建立とされる。

 

東大門扁額

 

石山寺とは
石山寺は天下に名を轟かせる古刹である。
石山寺と聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。国文学の好きな人は、真っ先に紫式部が『源氏物語』の着想を得た寺であることを思い出すであろう。西日本に住む人は西国三十三所観音霊場第十三番札所でもある観音信仰の寺を思い浮かべるのではないだろうか。

奈良東大寺別当良弁僧正が創建した寺、懸造(かけづくり)の本堂、奇岩、その美しさから誰をも魅了させずにはおかない多宝塔、月見亭から眺めるとうとうと流れる瀬田川の流れなどなど幾つも思い浮かぶ。であっても本堂の形とはどうであったか、と問われると、はて? と首を傾げずには居られまい。かくいう私も関西に住み四十年を越え、石山寺を訪ねるのは優に十度を超えてい
るであろうに、未だに本堂の形、造りの全容は思い出すことが出来ない。

観音様にお参りするのは当然のこと、今日は石山寺の全体像をつかみたいものだ と考え、真夏の暑いさ中を金剛杖代わりの一脚を手にし、夏向きの白っぽい服装、肩からは半袈裟ならぬデジタルカメラを掛け、日帰りの“巡礼“の旅に出たのである。

 

参道

大黒天前より東大門を望む。

 

法輪院

 

 

法輪院庭園

 

 

大黒天

 

 

 

 

 

大黒天庭園

 

 

本堂に到る石段

 

 

本堂前より多宝塔を望む

石段を上がりきると、正面の珪灰石越しに端正な姿の多宝塔を見ることができる。

 

 

参道より本堂を望む

樹木が茂り、本堂の全体像がつかめない。

 

本堂の屋根(檜皮葺)

手前の瓦屋根の建物は蓮如堂。本堂は滋賀県最古の木造建築物で国宝。

 

石山寺本堂
石山寺本堂は、 寄棟造の内陣(正堂)と、同じく寄棟造で懸造の外陣(礼堂)、その両棟を結ぶ相の間によって構成される総檜皮葺の建物である。創建年代の異なる三つの建物の複合建築になっている。本堂は国の天然記念物の珪灰石という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来である。礼堂は懸造で南面している。

石山寺の建立は古く、本堂は天平宝字五年~六年(761~762)にかけて造東大寺司によって拡張されたことが正倉院文書に見えるという。
その後平安時代に焼失、現在の建物は平安時代後期に再建されたもの。慶長期には、淀殿の寄進によって礼堂と相の間が改築され、現在のような構造と規模になったという。
なお、『石山寺縁起』によれば当寺は聖武天皇の発願により、天平十九年(747)、良弁(ろうべん)が聖徳太子の稔持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。宗派は東寺真言宗、ご本尊は如意輪観音である。

 

本堂(礼堂)

 

観音信仰
石山寺内陣の厨子の中に秘仏として安置されているのが本尊・如意輪観世音菩薩である。安産福徳縁結びのご利益をいただける観音さまとして信仰を集めている。観音信仰が盛んになった理由のひとつに、現世利益という性格がある。『観音経』には、観音を念じれば、いかなる窮地に立っても救いが訪れると説かれている。この世での願いをかなえてくれる観音さまは奈良時代、平安時代の皇族や貴族だけに限らず庶民まで救って下さるのである。

 

本堂南側の礼堂・縁

縁に立ち西方向を望む。杉の大木越しに周囲を眺めるが見晴らしは まずまず。

 

源氏の間

「紫式部開運おみくじ」がある。

 

『源氏物語』を読む
いつかは『源氏物語』を原文で読んでみたい、と思う人は少くないであろう。
私もその一人ではあるが、思いついてから三十余年、いまだに達成していない。
まずは現代語訳からと考え、書店に行っては、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地
文子、瀬戸内寂聴各氏の現代語訳を書棚から取出しては訳文をちらちらと比較
してみたものである。

晶子の源氏物語は原文にこだわらない自由訳であったのに対して、谷崎源氏
の特色は、原文にできるかぎり 忠実であろうとした点」「円地さんはたとえ紫
式部の原文には書かれていなくても、私ならば、こう書くと 思ったところは自
由に加筆されています」と寂聴さんは言っている。

寂聴さんの訳文で、試しに“宇治十帖“を読んでは みたものの、読みやすいけれど印象のうすいのは私の読解力の足りなさに原因があるに違いない。
私は、原文の雰囲気を残しているものをという観点と訳文の格調の高さから谷崎潤一郎氏の訳を選んだ。そして読み進んだのであるが、原文の雰囲気を残している、格調のある文体とはいっても、これはまるで“原文” を読んでいるに等しい。谷崎潤一郎訳の現代語訳があればそれも欲しいと思う始末である。

ということで谷崎潤一郎訳を幾度も挑戦しているのだが、未だに現代語訳さえ読破できていないのである。『平家物語』や『水滸伝』のように、読み進むごとに“血湧き肉躍る”という訳にはいかなかったのである。『源氏物語』は最初の巻から読まなくても良いという訳者の方もいるので、興味のある巻から読み進むこと にしよう。

 

源氏の間

この部屋は、主に天皇、貴族、高僧の参拝や参籠に使用されていたという。

 

 

 

 

石山詣と文学作品
平安時代になって観音信仰が盛んになると、京の都からほど近い観音霊場として宮廷の女人たちのあいだで、観音堂に参籠し読経しながら一夜を過ごす石山詣が流行した。清少納言、和泉式部などが石山寺のことを日記や随筆に記している。

有名な逸話ではあるが、紫 式部はここに参籠して『源氏物語』の着想を得たと伝えられている。では、いったいどのようにして石山詣をしていたのであろうか。皇族や貴族が石山詣をする絵巻が残っている(都からは、徒歩あるいは牛車などで優に半日はかかる、いや途中に都と近江の境には逢坂山の峠という難所があるので一日がかりの道のりであったことであろう)。

『源氏物語』関屋巻では、光源氏が行列を整えて都から石山詣に向う途上、逢坂の関で空蝉の一行とすれ違う場面が描かれている。空蝉は常陸介となった夫に伴って東国に下っていたが、任期が満ちて帰京する。途中、逢坂の関で石山寺に参詣する源氏の行列と出会い、道を譲って源氏を見送る。 源氏は右衛門佐を介して空蝉と歌を交わす。

会って再会を喜びたい、 たがいの心はそういう思いでいっぱいだったに違いない。しかし周りをおもんばかり それは出来なかった。簾越しに相手の姿を認め歌を送るのが精一杯だったであろう。ただ一度、秘められた逢瀬をもった二人の十二年ぶりの再会である。たがいにまだ断切れぬ思いが前後の文章から切々と伝わってくる。これが空蝉と光源氏の別れとなり二度と会うことはなかった。

平安時代には主に皇族や貴族の石山詣が盛んであったが、江戸時代には庶民の間にも広がり、多くの人々がご利益を求め石山詣が盛んになり大いに賑わったという。

 

 

懸造の礼堂

本堂は珪灰石の上に建っている。現在は樹木と柵があるため、懸造の全容を見ることはできないのが残念である。

 

 

 

1980年代には懸造の下に入ることができた(当時、モノクロームで撮影したもの)。

 

 

参道と毘沙門堂

手前の建物は毘沙門堂、奥が観音堂。

 

宝形造、桟瓦葺の毘沙門堂

小粒だが、鳥が翼を広げたかのような屋根のラインが美しい。
兜跋毘沙門天:吉祥天・善𧸐師童子を祀る。

 

毘沙門堂組物(前面)

 

 

毘沙門堂鬼瓦

 

 

 

多宝塔(国宝)

 

多宝塔の魅力
私にとって石山寺へ行く最大のよろこびは、観音様にお参りすることではなく、多宝塔の姿を眺めることにある。本堂でのお参りもそこそこに、経堂の脇を通り石段を上がると多宝塔の前に出る。多宝塔は、あたかも母鳥が大きな翼を広げるがごとく、来るものを懐に抱きかかえ守ってくれるかのようである。

周囲を巡りその均整のとれた姿を憧憬の念をもって眺める。山手側に上がっては檜皮葺の屋根の曲線を観察する。このように観察に最適なところが他にあるだろうか。檜皮葺の屋根の柔らかな曲線は、先端に向うに従いあたかも日本刀の切っ先のように鋭さを増し反り返る。柔らかさと鋭さを併せ持つ この曲線は世界中を探してもここにしかないのではないか。これを美しいと感じるのは私ひとりではないであろう。

漆喰の白と檜皮のコントラスト、それに日が差すことにより光と影の陰影が付き、えも言われぬ見事な景色が現れるのである。 これを見たいがために通っているようなものである。石山寺多宝塔は日本一美しい多宝塔である、といっても言い過ぎではないであろう。しかし、 いつまで檜皮葺の屋根を見ることができるか心許ない。 いずれ檜皮葺の屋根は瓦葺になってしまうのではないだろうか。
※檜皮(ひわだ-ヒノキの皮)を原木から採取する原皮師(もとかわし)は、今では日本に二十名しかいないという。

 

 

日本三塔の一つであり、建立年代(1194)が明らかな多宝塔の中で最も古い。
源頼朝公に寄進されたと伝わる。

 

 

山手側より望む多宝塔

 

 

 

檜皮葺のラインが、鋭さと柔らかさを兼ね備え、とても美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多宝塔下層

内部には快慶作の大日如来座像が祀られている。

 

国宝建造物 石山寺多宝塔
多宝塔は、下層が方形、上層が円形の平面に宝形造の屋根をのせた二重の塔です。石山寺多宝塔は建久五年(1194)に建立されたもので、多宝塔の中でも、最も優れて美しい姿をしており、 上下左右の広がりがきわめて美しく洗練され、均整のよくとれた建築です。
また、内部の柱や天井の廻りなどの壁面には、仏像や草花などの極彩色の絵が描かれています。 昭和二十六年(1951)に国宝に指定されました。
大津市教育委員会

 

心経堂

 

 

御影堂(重文)

弘法大師と石山寺第三代座主淳祐内供の像を安置する。

 

鐘楼(重文)

 

 

経蔵(重文)

経典を収めるための高床の校倉である。滋賀県下で最古の校倉造の建造物。
ピントが経蔵に合っていません(ご容赦を)。

 

 

経蔵(校倉)

 

 

 

建築年代は明確ではないが、建築様式からは16世紀後期頃の建立ではないかという。

 

 

経蔵「安産の腰掛け石」

高床式の束(つか)を抱くように岩盤に座ると安産になると伝わる。

 

 

珪灰石(天然記念物)

珪灰石越しに蓮如堂と本堂の屋根が見える。

 

 

珪灰石とは、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために
変質したものという。

 

 

 

 

多宝塔より毘沙門堂を望む

 

 

芭蕉庵付近より瀬田川を望む

 

※2017年8月撮影

写真で紹介したところは、石山寺の東半分(肝)に過ぎません。境内の北・西・南にはまだまだ見どころがあります。体力が許せば巡ってみたかったのですが、夏場の暑さで疲労困憊の体たらくです。石山寺の全容の残りは、またの機会ということでご容赦を。

※食事や休憩をするなら、門前には「瀬田のシジミ」をメインとした食事を出す店が多くあります。もう少し名所旧跡を巡りたいのなら、北へ向えば 三井寺、日吉大社、延暦寺の門前町・坂本、明智光秀の菩提寺・西教寺など一日では回りきれないほどです。