唐招提寺を訪ねて・その弐

 

講堂(国宝・奈良時代)

奥に見える大きな建物が講堂である。

 

講堂

 

講堂
「この講堂はもと奈良の京(みやこ)の朝集殿であった。すなわち和銅年間奈良京
造営の際の建築である。しかし現在の建築には天平の気分はほとんど認められない。
鎌倉時代の修繕の際に構造をまで変えたといわれているから、全体の感じは恐らく
原物と異なっているのであろう。もっとも内部の柱や天井は天平のままだそうである。
堂の外観が与える印象はむしろ藤原時代のデリケートな美しさに近い。」
※和辻哲郎著『古寺巡礼』より引用

唐招提寺の講堂は、奈良時代の数少ない講堂の遺構で貴重な存在である。
「朝集殿」とは、儀式に出席する役人が待機する場合に利用された簡素な 建物だっ
たという。元は西向きの切妻の建物を入母屋に改造した。

 

講堂東面

 

講堂内には、ご本尊である弥勒如来座像(重文・鎌倉時代)が安置され、その左右
には、持国天、増長天が配されている。

 

鼓楼(国宝・鎌倉時代)

 

名称どおりに太鼓を置いて鼓楼として用いていたわけではなく、経楼で
あったという。舎利殿とも呼ばれ、仏舎利が金亀舎利塔に納められ、厨子
の中に安置されていた。

 

礼堂(重文・鎌倉時代)

 

従来は礼堂・東室ともに僧侶の起居した僧坊である。講堂を中心に西と北
にもあり、合わせて三個所あったが現存するのはここだけである。
ちなみに鑑真和上は、僧坊西室で起居されていたという。

 

東室(重文・鎌倉時代)

 

 

礼堂

礼堂は仏舎利の安置された鼓楼を礼拝する造りになっている。

 

礼堂の屋根

 

 

礼堂

 

 

東室・礼堂

建物の中ほどで名称と用途が異なる(手前が東室になる)。

 

宝蔵・経蔵(国宝・奈良時代)

手前の大きい方の校倉が宝蔵である。

 

宝蔵

宝蔵の内部は中二階式の構造で、正倉院の校倉と同じ造りという。

 

宝蔵

 

 

宝蔵

 

 

宝蔵

 

 

宝蔵

礼堂南端より宝蔵を望む。

 

経蔵

 

経蔵は、この地が唐招提寺になる前、新田部親王の邸宅であったとき
すでに米倉として使用されていたと伝わる。なんと正倉院より古く、
現存最古の校倉ということになり驚きである。

 

経蔵

 

 

経蔵

内部に柱は無く、校木の壁構造で屋根の重みを受けているようである。

 

経蔵校木

漆が残っているのか光沢感があり、手で触れたくなってしまう。

 

経蔵

上の写真、下部に見られる厚みのある板は “鼠返し“と呼ばれる。

 

経蔵

千三百年を経た木の重厚感がひしひしと伝わってくる。
校木の断面は、よく見ると大きく面取りされているので、三角形というよりは
六角形である。強度の点でも密閉度の点でも万全である。

 

経蔵

 

 

※参へ続きます

 

 

 

 

 

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