秋篠寺を訪ねて

 

「いま、秋篠寺という寺の、秋草のなかに寝そべって、これを書いている。
いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある技芸天女の像をしみじみと見て
きたばかりのところだ。」

昭和十六年十月、堀 辰雄は秋篠寺を訪れ、技芸天女のお姿と侘びしげな村
の雰囲気に魅了されたことを手紙に書いて“妻”に伝えている。
秋篠寺、なんと素敵な ひびきの寺であろう。

 

秋篠寺南門

 

近鉄西大寺駅で電車を降り、バス乗り場を探しても見つからなかったので見当を付けた方角に歩いていくことにした。

秋篠寺を訪ねるのは初めてである。秋篠宮家ができてから一度は行ってみたいと思っていたのだが、今日になってしまった。 駅周辺は線路と道路が入り乱れ方角を見失いそうになる。狭くてほこりっぽい道路脇には飲食店の派手な看板が目障りな上、 行き交う自動車の数には閉口してしまう。想像していたような大和の風景、うっそうとした森、畑や田んぼなどあたりには見えない。

十五分ほど歩き、 競輪場らしき施設が右手に見えてきた。たしかその西側にあるはずと歩いていくと、はたして住宅街の一角にこんもりとした 森が忽然と現れた。

 

南門より境内を望む

 

 

苔 庭

 

 

金堂跡

 

 

参 道

参道の両側には苔むした庭がある。正面にわずかに見える建物は本坊庫裏。

 

 

 

 

 

 

 

本堂(国宝)

 

 

 

元は講堂である。鎌倉時代初期に再建されたが、勾配の緩やかな寄棟造りの屋根など天平の遺風を色濃く残し優雅な意匠である。
内陣西端には技芸天像の優美な立姿を拝することができる。

 

 

 

 

秋篠宮家が創設された当時、礼宮さまの妃である紀子さまの横顔が技芸天像に
似ておられると評判になり、 多くの人が技芸天を拝観すべく秋篠寺を訪れた。
その当時の喧噪も今は無く静寂な雰囲気に浸ることができる。

ところで技芸天の横顔だが、私には『東京物語』の原 節子に似ていると思うの
だが・・・どうであろうか。
人それぞれ、心のなかにある “ミューズ” を技芸天の顔に見出すのであろう。
技芸天ばかりが話題にあがる秋篠寺であるが、ご本尊は薬師如来(重文)である。
しっかりお参りしよう。 ご本尊の左右に脇侍として置かれている伝日光・月光
菩薩の穏やかな面相は、信心する者の心にしみじみと訴えかけてくるものがある。特筆すべきは、薬師如来の守護神「十二神将」である。世間ではどう評価されているのか知らないが、 私が思うには、新薬師寺の十二神将にも勝るとも劣らない作と断言する。 身の丈70センチ前後と小さいながら、その身のこなし、両足が大地を捉える様子、人の良さげなそのお顔立ち(日本人にいそうでいないお顔)。
これらの像は小像ながら感心するほど精緻に彫刻され、 保存状態も良く、彩色も奇跡的といってよいほど良く残っている。この像は時代は下がるが、新薬師寺の十二神将と同格に置いてもよいのではないだろうか。 鎌倉時代末期の傑作がここに隠れていたと言っては言い過ぎか。

ほかに地蔵菩薩立像(重文)、五大力菩薩像など優作ぞろいである。
信仰心の篤い方もそうでない方も是非とも一度はお参りを。
小さなお堂に手に触れるがごとく密集して安置された仏さまが、千年の塵を被ったご様子が、古美術好きにはたまらなく嬉しい。

 

本堂南面(正面)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂北面(裏側)

 

 

開山堂

秋篠寺は奈良時代末期、光仁・桓武天皇の勅願で法相宗の善珠の開基と伝える
奈良時代最後の官立寺院。現在は既成の宗教に属せず、単立宗教法人となって
おり、ご本尊は薬師如来である。

 

大元堂

 

 

鐘 楼

 

 

 

 

 

帰路の参道

 

 

 

かつて帰路の参道左手(北)に金堂、右手に西塔があった。

 

東塔跡(礎石)

南門を入りすぐ右手にある。見落としやすいので注意。

 

東塔跡の礎石

西塔跡の礎石は参道を挟んで西側にある。

 

十三社

 

 

香水閣

 

 

東門より境内を望む

 

 

東 門

 

秋篠寺は創建当時、東塔・西塔などを備えた大寺院であったが、平安時代に
一山兵火に遭いわずかに講堂ほか数棟を残すのみとなった。当時の面影は林
の中に点在する数多の礎石に偲ぶほかない。

 

秋篠のみ寺をいでてかへりみる生駒がたけに日はおちむとす

※ 会津 八一(歌碑)