津軽紀行 太宰治の描いた津軽

 

 

 

 

竜飛岬

津軽出身の小説家に太宰治という名の人がいたことはご存じかと思う。
津軽平野のほぼ中央部、金木町(いまは五所川原市)の資産家の出で
あった。本名は津島修治、『人間失格』『斜陽』という小説で世間には
知られている。『津軽』という紀行文も書いていて、小説とちがいとても
読みやすい。

太宰の主な小説は十代半ばに読んではいたが、陰鬱な印象ばかりが残っ
て好きにはなれなかった。だが『津軽』だけは例外である。太宰治の
サービス精神にあふれていて、津軽の人間にありがちな自虐精神(?)
満載で笑ってしまう個所がいくつもあった。こんなに楽しめる紀行文は
貴重な存在である。

 

 

 

 

三厩から波打ち際の心細い路を歩いて、三時間ほど北上すると、竜飛の部落にたどりつく。文字どおり、路の尽きる個所である。ここの岬は、それこそ、ぎりぎりの本州の北端である。

二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に凄くなってきた。悽愴とでもいう感じである。それは、もはや、風景でなかった。風景というものは、永い年月、いろんな人から眺められ形容せられ、謂わば、人間の眼で舐められて軟化し人間に飼われてなついてしまって、・・・
人間の表情が発見せられるものだが、この本州北端の海岸は、てんで、風景にも何も、なってやしない。

絵にも歌にもなりやしない。ただ岩石と水である。

 

 

 

 

もう少しだ。私たちは腰を曲げて烈風に抗し、小走りに走るようにして竜飛に向って突進した。路がいよいよ狭くなったと思っているうちに、不意に鶏小舎に頭を突っ込んだ。一瞬、私は何が何やら、わけがわからなかった。

「竜飛だ」とN君が、変った調子で言った。
「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなわち竜飛の部落なのである。凶暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになって互いに庇護し合って立っているのである。

 

 

 

 

ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路はない。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである。ここは、本州の袋小路だ。
読者も銘記せよ。諸君が北に向って歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は尽きるのである。

・・・太宰治『津軽』より引用

 

 

 

 

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